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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

6月7日、ニュールンベルグで戦争のことを考える

6月3日から6日まで、バイロイト大学でアフリカ文学会(ALA)が開催された。6月2日、午前10時25分発のKLM航空で、関空からアムステルダムスキポール空港を経て、ドイツのニュールンベルグ空港に同日午後5時50分に到着。ニュールンベルグからバイロイトまで、ALAの事務局がアレンジしてくれたバスで移動した。ホテルに到着し、チェクインを済ませたのが、夜の9時前。
 バイロイト大学は、市内からバスで20分ほどのところにある。バス停からホテルまで徒歩で15分ほどかかるが、そのうちに近道を覚えて、町のなかを歩くことを楽しんだ。だいたい昼間は、バイロイト大学構内で会議があり、夜のイベントは町の中にあるCity Hallで行われた。町の中はとても安全だったので、夜遅くまで行われるさまざまなイベントにも安心して出ることができた。
 ウォーレ・ショインカ(ナイジェリアの作家、1986年ノーベル文学賞を受賞)と、アマ・アタ・アイドゥ(ガーナの女性作家)の出席があった。このお二人のことは、別の機会に書こうと思う。

 帰路の6月7日の飛行機の便はニュールンベルグ発パリ行きで、夜の6時25分だった。時間がたっぷりあるので、ALAがアレンジしてくれたバスで早朝にバイロイトを発ち、ニュールンベルグ空港に向かった。早々と荷物をチェックインして、身軽になったところでニュールンベルグの町の見物にでかけた。友人のテルマ、フマ、ジョージ、私と妹の5人であった。
 ニュールンベルグは、第二次世界大戦の戦後処理として、戦争犯罪を裁く国際裁判が開催された土地として知られる。
戦前は、ナチス党大会が開催され、第二次大戦中は、ナチスの本拠地であったために、連合国から激しい爆撃を受け、町は壊滅状態になった。当時の様子を物語る写真が教会やカイザーブルグ城に保存され、現在は完全に復元されていた。そのギャップに驚いた。戦争は絶対にいけないと強く思った。一旦破壊された日本の町は昔の状態には完全に復元できない。しかし、ヨーロッパの町は、レンガや石造りであるために、完全復元が可能になる。ニュールンベルグの小さな町のなかにある、幾つもの教会が破壊と再建を繰り返してきたことを思うと、歴史の重みを感ぜざるを得なかった。
 どんなことがあっても、どんな理由をつけようとも、人を殺しあう戦争は絶対にしてはいけない。歴史から学んできたことだ。

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