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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

Ali Mazruiさんが亡くなる

 13日は台風が近畿地区を荒れ狂いながら通過していった。3階をつぎたした我が家は、3階部分だけが周囲から突出しているので、どこから風が吹いても直撃をくらう。今回は東からの強風だったので、ひさびさに雨戸を閉め、守りに入った。だが、家は風に揺さぶられ、その度に恐ろしい思いをした。
 次の日は何事もなかったかのような晴天。研究室の片付けをそろそろ始めないといけないと思い、机の引き出しをあける。これまで大事にとっておいた手紙や写真や、書類らがいっぱい詰まっている。2000年7月29日にジンバブエのハラレで開催された「ジンバブエ国際ブックフェア」でとった写真が出てきたので、何気なく懐かしい気持ちでながめていた。ケニア人学者のアリ・マズルイ、南アフリカの女性作家ミリアム・トラーディ、テルマと私。他にも会議中の様子などを撮った写真があった。
 アリ・マズルイさんが13日に亡くなったということをFacebookで知った。日本とは13時間ほどの時差があるので、私がまさにマズルイさんの写真を眺めている頃に、マズルイさんは天国からその写真を通して私の所にたずねてきていたのだろうかと思ったほどだった。


14年も前なので、誰もが若々しくみえる。その頃はジンバブエも社会が安定していて、ブックフェアにムガベ大統領がやってきて、あちこちのブックスタンドを歩き回っていた。私とテルマは南アフリカ女性作家について発表した。その司会役をつとめてくれたのが、アリ・マズルイさんだった。世界的に著名な学者で、アフリカ史を扱うほどの豊富な知識と見識をもっていた。穏やかな人で、私たちのややも過激な南アフリカの女性作家への取り組みにどう思われたかは、わからないが、にこやかに私たちの発表を受け止めてくれていたように思う。

 実は、私はこのブックフェアに参加するにあたって、友人のテルマ・ピントとヨハネスブルグから一緒に南アフリカ航空に乗った。出発時刻になっても飛行機は飛ばなかった。ヨハネスブルグとハラレ間の飛行は2時間ほどだ。そのうちにアナウンスがあって飛行機を乗り換えることになった。数時間遅れで一旦飛行機は飛び立ち、おそらく南アフリカジンバブエの国境近くまできてから、テクニカル・トラブルによりヨハネスブルグ空港に引き返すことになった。飛行機は異常な揺れ方をしていたので、隣の席に座っているテルマと顔を見合わせ、手を握りあっていた。神様にお祈りするしかない。初めての経験で恐怖を感じた。アナウンスによれば、もし強行にハラレ空港に着陸した場合に、レスキュー隊や消防車などの十分な設備がないとのことだった。
 ヨハネスブルグに引き返し、飛行機を乗り換えて再度ハラレに向かった。真夜中の到着で、疲労は限界に達していた。テルマがいてくれたので、パニックに陥らないですんだが。
 
 こんなことがあったので、このジンバブエ国際ブックフェアはとても印象に残るものであった。それまでにも、その後も、このブックフェアに参加しているが、特別なものだった。しばらくして、ジンバブエの政治的、経済的悪化により、ブックフェアはとりやめになった。ジンバブエ国際ブックフェアに取って代わるのが、のちのケープタウン国際ブックフェア。