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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

あれこれ雑感

 先週はEnglish Workshipという集中の授業をした。まだまだ暑い日が続くのに、10時半から4時10分までの3コマ分を月曜日から金曜日までの5日間をこなした。この何十年の教師生活のなかで初めての経験だったが、やってよかった。ゆとり教育の中で学生たちは、英語の発音記号を学んでいない。筆記体も学んでいない。英語を書くにもコンピュータを使って書き、実際に手書きをする機会も少なくなったので、筆記体を学ばなくてもいいかもしれない。だが、英語の発音記号だけは知っておくと、知らない単語でも辞書で確かめることができ、とても便利だ。日本語では音読みと訓読みがあり、外国人にとってはとても複雑で難しいと思うが、英語でも一定の原則や法則を学べば、だいたいの想像もつくが、それでも難しい。発音がうまくできないために、英語の勉強を諦めてしまったり、嫌いになったりする。すらすら英文が読めれば、楽しくなるはずだが、そうではないのが現状だ。
 最近ではニュース番組も心が痛み、観たくない気持ちが強くなる。朝日新聞へのバッシングは何だろうかと考える。多くの人はメデイアで報道されるものによって、世の中の動きを理解する。しかし、偏った報道や執拗なバッシングで、多くの人を傷つけることにメディアは鈍感になっている。朝日新聞への従軍慰安婦問題の「吉田証言」をとりあげ、まるで従軍慰安婦問題はなかったかのように語られることを危惧する。
 もう一つの福島原発事故に関する「吉田調書」の公開を扱うメディアの報道をみていれば、東電と政府と吉田所長の責任のなすり合いのように思える。実際にもう3年半以上も時間が経つのに、何の解決策もみえない。住む場所を奪われ、生活の基盤を失った人たち、汚染の垂れ流しになす術のない現状に心が痛む。責任のなすり合いをしている場合ではなく、現実の復興を願う。オリンピックに浮かれている場合ではない。