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Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月4日 会議最終日 Audore Lordeのセッションにでる

 今日は会議の最終日。午前中はAudore Lordeのセッションにでる。オードレ・ロード(1934-1992)は、カリビアン・アメリカン作家、詩人、公民権運動の活動家、フェミニストレズビアンなどとして知られる。父親はバルバドス出身だが、オードレはニューヨークで育つ。子ども時代は母から西インド諸島の民話を聞き、かなり早い時期から読み書きも学んだ。1960年代は公民権運動が盛んになる時代で、こうした中で彼女は詩を書き、朗読する機会が多く会った。
 私自身もオードレの詩に啓発されることが多かった。オードレはバーバラ・スミスらと女性の出版社「キッチン・テーブル」を始めた。私がはじめてキッチン・テーブルに本を注文したとき、バーバラ・スミス直筆のお礼のメッセージが届いてびっくりしたことがあった。
 ロードは長年乳がんで苦しみ、のちには肝臓がんにかかり、10年近く闘病生活がつづくが、彼女はそうした事実を冷静にうけとめ、病気と闘いながら生きていたことが多くの女性たちを励ますことにもなっていた。
 今回のセッションでは、ロードがドイツでどのように活動していたかというドキュメンタリー映画が紹介された。私はロードとドイツの関わりをしらなかったので、とても学ぶことが多かった。
 彼女のつとめる大学の交換プログラムに関わり、ドイツを訪ねる機会が度々あった。そこでロードはドイツにいるアフロードイツ人の自己のアイデンティティの確立に大きな影響を与えた。ドイツで育ったアフリカ系ドイツ人は、いつも「ミュラト」と呼ばれ、「混血児」と蔑まれてきたことから、自分に自信も持てずに、社会の片隅におかれる存在として意識していた。こうした人に対して、オードレ・ロードは詩をとおして、対話をするなかで、アフリカ系ドイツ人という名称を与え、一人の人間としての生を意識させ、自信と誇りを回復させた。いわば「フェミニスト」として、女たちとのつながりをつくってきた様子が映画の画面から伝わってきた。また、ロードが病状が悪化していくが、ありのままの姿をさらしていた。手術をしたりしないで、強い意志を持ちながら生きるという姿勢で、病気を克服していた姿に感動した。
 女たちとのつながりやサポートによって、楽しく、生き生きと生きる姿勢は亡くなる2ヶ月前まで崩すことはなかった。とてもすてきな人たちにかこまれた人生だったように思う。
 オードレ・ロードの詩や本は何冊かもっているが、もう一度読みたくなった。