Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月3日 イギリス国会議事堂に行く

 午前中はBeyond Migration-Changing Landscapeのセッションにでた。ALA仲間のDonald Morales の発表 Exploring Work by Afro-European Artist and Writers who break Stereotypesがあった。最近ではBlack British のアーティストがアメリカに移住して、活躍するケースが多い。その理由のひとつは経済的なものがあるが、その人たちを通して従来のイギリスのステレオタイプのイメージが壊され、変化していく。Black Britishはアフリカから移住してきて、2、3世代の人たちであり、「アフリカ人でもなければ、イギリス人でもない」状況を生きている。
 「馬に乗って、長いコートを着て、お茶を飲んでいる」というイギリス人白人のイメージは、Black Britishがイギリスに存在することで、当然変化していく。そしてそのイメージを、Black British Artistsが演劇、映画、メディアの分野で活躍することで新たなイメージが作られる。こうした内容がモラレスの発表だった。
 ここで疑問に残るのは、なぜイギリスで暮らすアフリカ人がイギリス社会で活躍できないのか。だが、彼らがアメリカに移住して、アフリカン・アメリカではない新たな存在を作り、従来のアフリカン・アメリカンのイメージを変えて行くという状況への着目は興味深いと思った。
 午前中の全体会議では、フィンランドのUniversity of Tampere教授Anna Rastasが”The Politics of Naming in African Diaspora studies”を報告した。そもそもAfro-Europeanが存在するのかという主張で、アフリカにもヨーロッパ社会にも自己のアイデンティティを持たない人びとの存在があるという現実を語った。そういう人びとをどう名付ければいいのかという問題提起だった。
 この会議そのものの根幹にかかわる問題で、私自身はAfro-Europeという枠組み自体に疑問を感じた。イタリア人とアフリカ人の間に生まれた子どもは、Afro-Italianと呼ぶのか。Afro-British, Afro-Spanish, Afro-German, Afro-Frenchがさらにさまざまな人種との混血が進んで行き、その子孫をどう呼ぶのか。ここにあるヨーロッパはアフリカとの関係においては、かつての植民地時代の「白人とアフリカ人」「支配と被支配」との関係を超えることはできない。「なぜアフリカなのか」という原点に戻る。
 夕方からイギリス議会が会場で、アメリカの銀行UBSの後援によるLondon Schools and the Black Childの2013年度の最優秀者への授与式があった。これは友人の招待で実現したが、アフリカ系の女性でイギリス議会に初めて選出されたDiana Abbottの主催するものだった。とても興味深い集まりだった。国会の議長からコメディアンまで各界の代表が成績優秀者を表彰するのは、なんとなく植民地主義の権威を傘にきて、アフリカ人にご褒美を与えるという構造を思い浮かべた。
 とはいえ、初めて国会議事堂に入って、イギリス議会の権威の大きさと歴史を感じた。