Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

10月2日 グギ・ワ・ジオンゴの講演

 Afro-Eropes会議の基調講演、John La Rose記念講演でグギ・ワ・ジオンゴが”Resisting Metaphysical Empire: Language as a war zone”を話した。John La Rose(1927-2006)¬¬¬¬はトリニダード出身で、1960年代にロンドンに移住し、カリブ芸術家運動を組織してきた。グギ・ワ・ジオンゴはその頃にジョン・ラ・ルースと出会い、とりわけ1982年にグギが亡命し、ロンドンで過ごしていた頃に親密な付き合いがあった。「ケニアの政治犯釈放委員会」を共に立ち上げた。グギが1977年12月に政治犯として拘禁され、亡命を余儀なくされたことがその大きな動機だった。ジョン・ラ・ルースはロンドンの郊外でNew Beacon Bookstoreを経営し、出版活動も展開していた。さらには International Book Fair of Radical Black and Third World Booksを10年間主催した。さらにはGeorge Padmore Instituteを設立した。こうしたことがきっかけで私自身もこのBook Fairに何度か出席する機会を得て、ロンドンにいるカリブやアフリカ出身の作家や文化人、活動家たちとのつながりができた。
 グギは今回の催しに招待され、ジョン・ラ・ルースへの思いを語った。前日にGeorge Padmore InstituteやNew Beacon Bookstoreを訪れて、ジョン・ラ・ルースのことを思い出したのは言うまでもないが、彼の精神が生きていることを実感したと語った。
 さらに最近、ケニアのナイロビのショッピングモールで起こった事件で、アフリカ人作家コフィ・アウノーへの追悼をのべた。グギは同じ世代のアフリカ人作家として、アウノーの死は悔やまれるものだった。
 そして本題に入り、アフリカにおける言語の問題を話した。カリブやアフリカに生きる人びとにとって、英語と民族語との関係は、まさに植民地主義、領土拡張主義、資本主義、グローバリズムなどと関わりがあることを、歴史的に実証した。インド、日本などの例もとりあげた。英語というのは、形而上の帝国の象徴であり、言語の問題を取り上げること自体が一つの闘いでもあると語った。いずれもう少し、詳しく書きたい。

講演後、グギは会場に来ていた人たちと丁寧に言葉を交わしながら、本にサインをしていた。久しぶりの再会を喜んだ。昨年6月にケープタウンで会って以来の再会だった。
 ワングイ・ワ・ゴコ、ドン、ジョーらと中華料理やで夕食をした。