Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

8月25日(日) 『母から母へ』の一人芝居

マンデラ・デイ・マラソンの関連行事で、朝早くからフラットの前の海岸沿いを多くの人が歩いていた。雲一つない晴天で誰もが外に飛び出したくなるような日だった。

 シャナーズからの電話で、アメリカから来た彼女の知人と友人と一緒に、シーポイント、グリーンポインの海岸沿いを散歩することになった。のんびりとおよそ1時間半ほど歩いた。ケープタウンに来てからこのコースは車で通るだけだったので、ウォーキングできたのと、写真も撮ることができた。いつもは、町中を歩く時はカメラをぶら下げることはないからだ。

 来た道を同じ時間をかけて歩くのは大変なので、シャナーズの友人のフラットまで歩き、帰路は車で送ってもらった。シャナーズは友人たちを乗せてきた車を私のフラットの前にとめておいたからだ。
 写真はサッカーのワールドカップ(2010年)の時に建て替えたスタディアム。

 ランチはシャナーズの家でいただくことになった。ビーンズのカレーとロティとサラダ。いつもこんな風にして友人たちをもてなしてくれる。
 しばらくして、友人が滞在しているラグーン・ホテルまで送って行くことになった。テーブルマウンティンとライオンヘッドが正面に見える絶好の場所だ。


 夜の7時から始まる一人芝居「Mother to Mother」を観にArtscapeに行く。8月は「女性月間」ということで、Sindiwe Magonaの小説『母から母へ』(アフリカ人の殺人者の母から、殺されたアメリカ白人の母へ向けて書かれた手紙を題材にした)を演劇にしたものであった。ケープタウンで特別に一回限りの上演となった。
 この作品は、実際に20年前の8月25日に、フルブライト奨学金を得て、University of the Western Cape (UWC)で勉強していたAmy Biehlが、帰国の前日にググレッツというタウンシップで殺された出来事を扱っている。今回の上演はAmyの20周忌にあたり、女性月間の関連行事の一環でもある。Amyの母親もアメリカから出席していた。Sindiweとも久しぶりの再会だった。
 Amyはアメリカへ帰国する前日に殺された。Gender Unit最後のお別れバーティをした後、アフリカ人の友人をタウンシップに車で送って行ったときに殺された。当時は、それまで選挙権がなかったアフリカ人にどのように選挙をするのかを教育するプロジェクトにAmyは関わっていた。アパルトヘイトが廃止された時期で、選挙も近づいていた。アフリカ人はこれまで自分たちを抑圧してきた白人に対して敵愾心をもっていた。Amyはその標的にされたのだった。
 私は当時国際交流基金の支援を受けて、一年間このUWCで研究をすることになった。まさにAmyが殺された1993年8月にケープタウンに来る予定だった。諸般の事情で半年延期になったが、まさにAmyが常に顔をだしていたGender Unitにも私はよく出入りしていたし、もし私が予定通りにケープタウンに来てUWCに通っていたら、私がAmyになっていたかも知れないといつも思う。さらに、2007年6月にAmyが殺されたまさに同じ場所で、Sindiweを迎えに行った時に、私は強盗にあった。待ち合わせの場所に彼女がいなかったので、車を止めて待っていた。そのときに襲われたのだった。恐怖を初めて感じた。
 
 上演後に、Sindiweは、Amy Biehlに起こったことだけを考えるのでなく、Amyが命をかけて南アフリカ社会に問いかけた問題として、また「赦しと和解」をどう築いていくかを共に考えようと、強く訴えた。暴力のない、人種差別のない社会を作っていこうと語った。Amyの母親も観客に向かって語ったが、Sindiweの言葉を了解したように思った。