Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

レ・ミゼラブルを観に行く

3月3日(日)、京都Movixで上映している「レ・ミゼラブル」を観た。友人からすすめられていたので、思い切ってでかけた。日曜日であったこともあり、映画館はいつもよりは人が入っていた。
子どもの頃に本で読み、なんとなくストーリーを知っているはずの物語だが、知らなかったことがあまりにも多かった。ジャン・バルジャンがパンを盗み、教会の牧師に助けられ、後に改心して、出世するという成功物語として読んでいたかもしれない。
 ヴィクトル・ユーゴの原作をできるだけ忠実に描く「映画」の世界は、フランス社会に生きる人びとの現実の悲惨さに目を覆いそうになった。人間的に生きるとはどういうことかを徹底的に追求する。人間愛を基底に明日を信じて生きることの強さが伝わってきた。バルジャンを追跡し続けたジャベール警部は職務に忠実なだけの人生、バルジャンに命を助けられたことを振り返り、絶望の淵にたたされ、自らの命を絶つ。
 他方命をかけて社会の不正義と闘った若い学生たちの犠牲を、無にすることなく、継承しようとする力は死に絶えない。バルジャンが死すとも、必ずやコゼットやマリウスが彼の意志を受け継いでいくだろう。死を恐れないということはこういうことなんだろう。人間の善悪、キリスト教宗教観などを考えさせられた。
 一人の人間の生き方が社会を変えて行く力にもなりうるのだとすれば、いま私たちに求められるのは、真実を見つめ、真実を語りつないで行く力になること。ささやかな力でも同じ方向を向いている人たちと一緒に歩いて行くこと。