Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

映画『マーガレット・サッチャー鉄の女の涙』を観る

 映画「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」を観た。私は主演女優のメリル・ストリープが大好きで、彼女の映画の多くを観てきた。「クレイマー、クレイマー」「ソフィーの選択」「マディソン郡の橋」「愛と哀しみの果て」「激流」等など。とくに「ソフィーの選択」は、ウィリアム・スタイロン原作で、メリル・ストリープは移民がアメリカ社会でさまざまな困難を克服していく壮絶な闘いをみごとに演じていた。とくに英語が理解できない移民が徐々に言葉を獲得していくプロセスは圧巻であった。「激流」では、自らボートで激流下りをした。メリル・ストリープは、どんな役にでも挑戦し、その役作りの姿勢がすごい。
  今回の「マーガレット・サッチャー鉄の女の涙」でもそうだが、サッチャーの凛としたブリティッシュ英語で首相としてリーダーシップを発揮する成功の物語と、政界引退後に認知症を煩う一人の女性の内面を描く。過去と現実が混濁する、一人の老いた人間の半生に光があたる。
 誰にも老いがやってくる。人によってさまざまな老い方があるが、サッチャーという大きな歴史上の人物が、一人の人間に戻ったときに家族のことだけが頭にあった。夫は8年前に亡くなっているが、夫はときどきサッチャーの意識の中に登場し、会話をしたり、食事をする。はっと気づいたときには、夫の姿はなく、現実に戻る。子どもとの距離の取り方もいい。息子と娘の双子がいるが、息子は南アフリカで暮らすので、そうめったには会えないことは理解し、ときどき電話でコミュニケーションをとっている。娘は時どき母を静かに見守っている。政治活動に全精力をさいていたときには、母親を求めていた子どもの要求には応えられずにきたことが、一つの負い目になっているのだろうか。あるがままの生き様を淡々と描く。女性監督ならではの作品なのだろうか。
 最後に、夫が身につけていた服や、自分が政治の表舞台で着飾っていたものを、ようやく整理する気持ちになっていく。そして思い出の品物がなくなってしまった部屋を、多少の戸惑いを感じながらも一人で歩く場面で映画は終わる。同情も憐憫もない。淡々と一人の人生が刻まれていく予感だけがある。
 だけども、映画館を出たあと、私自身の行く末を考えると、少し重い気持ちになった。誰もが一人で生まれてきて、一人で自分の死に向かっていく。覚悟だけが必要なのだと。