Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

「ハシズム」に思う

 ここ数日、大阪市長に選ばれた橋下徹の言動が気になる。先日もツィッターでこう書いたばかりだった。
 『ハシズム!─橋下維新を「当選会見」から読み解く』(第三書館)を読んだ。胸がすっきりしたのは、上野千鶴子さんの正論。「民に押されたという」橋下市長に言い分なし。悪しき権力者は民意で作り上げてきた女性センタ–を潰してきた。メディアも「ハシズム」にのらないでほしい。

 今朝の朝日テレビ報道ステーションで、橋下市長は、北海道大学大学院教授・山口二郎を「税金で喰っている」「何の役にもたたん議論だけ」と愚弄し、罵倒し、意見に耳をかさないやり方で、権力者の立場を死守しながら、教育改革の必要を訴えた。その権限は首長にあると言い切った。教育現場で仕事をしている者として、悲しく、恐ろしくなる。人を大事にしない人だと思った。
 橋下市長は弁護士出身。その時その時で、言葉で相手を負かせる仕事をしてきた人だ。そんな言葉をさらにメディアという公共の電場を通じて垂れ流している。娯楽番組を観るような感覚で観ている観客には面白いかもしれないが、実際に教育現場にいる教育者たちにはとても迷惑な話だ。競争原理や成果主義が破綻し、グローバル化が破綻している状況の中で、時代錯誤な教育論を持ち出してきた。「子どもと親の声を聞くべき」と「子どもや親」を味方につけながら、教師や教育内容を首長が指導するような目論みがみえみえだ。「子どもや親の声」とかざしながら、橋下氏にとって都合の悪い人の声、反対者の声にはいっさい耳をかさない橋下氏の姿勢は、「独裁者」「ファシスト」を感じる。
 実際に、橋下氏は教育の内容や指導方針に関しては教育委員会が決定するが、その予算決定権は首長にあると強調。つまり、予算の力で教育内容を支配するという構造だ。
 彼の話を聞いていて、実際に私がいる現場での議論とまったく同じであると感じた。お金の力で教育の現場が支配されるようになれば、教育は死んでしまう。
 橋下氏が山口二郎氏に投げかけた軽蔑的な言動は、彼の人に対する差別観であり、教育への軽視であるのはいうまでもないが、すべての教員や研究者に対する侮辱である。私の怒りはますます高まっていく。