Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

大掃除は楽しい

 この何年も整理ことがなかった本棚の掃除をした。引き出しには要らないものやら、懐かしいものやらが詰まっていた。特に海外からの手紙や古い年賀状などは、ついつい手をとめて読み返すので、整理はなかなか進まないが、至福の時間だ。すっかり忘れていたことが蘇ってくるし、友人たちの顔が浮かんでくる。なかにはもう他界した人たちもたくさんいるので、今後は絶対にもらえない手紙だと思うと、とても貴重だと思えてきた。
 最近では手紙を書くことはほとんどなく、メールで用を済ませているので、記録として残っているものはない。また3ヶ月前にコンピュータのハードディスクが壊れたので、ここ何年か分のメールをすべて失った。私はメールを印刷するようなことはしないし、メールの返信もできるだけ、簡単に処理するほうだ。不要な情報はできるだけ書かないように注意をし、いわば効率的な事務処理という感じなので、メールが消えてしまってもそれほど気にならない。最近にはじめたばかりのFacebookは、友人や、友人の友人に同時にメッセージを送ることができるので、個人的な手紙というよりは、掲示板への書き込みのようなものだ。

 本棚の整理中にでてきたベッシー・ヘッドの手紙のコピーの束に手がとまった。私はベッシーに一度も会ったことがなかったが、なぜかベッシーの生き様にひかれ、彼女の作品を読んだ。南アフリカから亡命して、ボツワナで小説を書き始めた。ボツワナで亡くなるまで、何千通の手紙を書き続けた。彼女が暮らしていた地(セロウェ)を訪れ、ミュージアムに保管されているベッシーの手紙を見せてもらい、感動した。別の機会にはベッシーの手紙を保管している南アフリカのグラムスタウンにある国立英文博物館にベッシーの手紙を読みに出かけたことがある。そのときに親切にしてくれたアンとは2006年にケープタウンで開催されたベッシー・ヘッドに関するパネルディスカッションの場で再会した。彼女は私のことを覚えてくれていた。日本からわざわざベッシーのことを調べにやってきた私に興味をもったようだった。
 ベッシーにとって、手紙は外部社会とつながる唯一のコミュニケーションの手段だったし、書くことで生きる力を得ていた。私はベッシーを通していろんな人と出逢うことができた。ベッシーから力をもらった人たちの輪が幾重にも広がっている。

たまにやる大掃除は、玉手箱をあけると思いがけない宝物が出てくるような、楽しいひと時でもある。