Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

ノーベル文学賞受賞の嵐がやってくる

 毎年、10月の木曜日、夜8時にはノーベル文学賞の受賞者の発表がある。毎年、アフリカ人作家が候補にあがり、もしアフリカ人作家が受賞したならば、その作家を紹介してほしいというリクエストを受ける。候補に挙がるのは、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ、ガーナの女性作家アマ・アタ・アイドゥ、ソマリアの作家ヌルディン・ファラなどだ。私はどの作家とも個人的に交流があり、どの作家もノーベル文学賞を受賞してほしいと思う。
 グギ・ワ・ジオンゴとは30年以上ものつきあいで、私が勤める大学に2度も来てくれたことがある。ケニア、イギリス、ジンバブエ、ガーナ、南アフリカ、アメリカなどでも会っている。なぜ、こんな様々なところで出会ったかというと、彼は1981年以来22年間も亡命して、イギリスやアメリカで暮らしてきたからだし、アフリカ文学に関する学会や集会によく招かれて、講演をしてきたからだ。
 最初にグギ・ワ・ジオンゴに出会ったのは、1977年8月のことで、当時グギが勤めていたナイロビ大学の研究室で出会った。当時グギは39歳だった。私も初めての東アフリカへの旅で、見るもの、聞くこと、すべてが新鮮で鮮明に記憶に残っている。私が一人で、ナイロビ大学の裏手にある通りを歩いているのを、グギは車の中から見かけたことを、後日大学の研究室で会ったときに、まっさきにそのことを私に語った。好奇心おう盛な私にいろいろとアドバイスをしてくれた。そして、数日後にナイロビ郊外にあるリムルの自宅に招いてくれたのだった。その途中では、私が読んでいた、グギの小説『一粒の麦』の舞台となった場所を案内してくれ、いろいろと歴史的な背景を説明してくれた。
 その年の12月31日にグギは、裁判なしの政治拘禁を受けた。当時、彼の民族語であるギクユ語で演劇活動をしたことが、直接の原因だった。グギは東アフリカでは初めて英語で書く作家として登場してきたが、ギクユ語で戯曲を書き、上演活動をしたことは、当時のケニア政府にとっては危険だと見なされたからだった。一年間投獄された。英語で小説を書く限りは、ケニア政府にとって問題なかったが、ギクユ語で書くことでケニア政府が恐れるのならば、今後はギクユ語で作品を書くことを決意した。投獄中はトイレット・ペーパーにギクユ語小説『十字架の上の悪魔』を書いた。
 つづきはまたの機会に。