Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月26日 節電はできる

 最近、夜町を通り抜けるとき、少し薄暗く感じることがある。以前のように、ギラギラした明かりに吸い込まれそうになることはない。こころなしか、穏やかな気持ちにさせてくれる暗さだ。ボツワナの町を訪れたとき、真っ暗闇の中でみた星の輝きに感動したことがあった。夜は暗くていいんだと思ったことがあった。
 電力を原発に依存し、なにもかも電化され、近代化された現代の暮らしが当たり前のようになっている。いま、それを見つめ直すいい機会かもしれない。我が家の水洗トイレは、ドアを開けて入ると自動的に便器の蓋があき、ボタンひとつで、さまざまなことができる機能がついている。そして用を済ませて立ち上がると、自動的に水が流れる。こんなトイレに慣れっこになっていると、他所のトイレに入っても、用を済ませたあと水を流さないことがある。24時間電気が入りっぱなしだ。冬の寒い日には便座が暖かいのは嬉しいが、一日に何度かしか使わないのに、そのためにだけ保温しつづけているのも、よくよく考えれば電力の無駄使いだ。便器の電源を切れば済む話だ。
 24時間保温つきジャーポットの使用は、数年前からやめている。炊飯器で炊いたご飯は、保温をしないことにしている。だが、もっとこまめに使わない部屋の電気を切ったり、瞬間湯沸かし器はつけっぱなしをやめればいい。夜遅くまで仕事をしないようにすれば、健康的な暮らしができ、一石二鳥かもしれない。「昼間は、教室の窓側の電気は不要だから、電気を消しましょう」という呼びかけがずっと前からあったが、しばらく忘れていた。電気がつけっぱなしが当たり前になっていた。携帯も、コンピュータも、iPodも、電子辞書も、充電しなければ使えない。電気がなければ使えないものばかりに囲まれて暮らしている。
 この震災で、電池が店から消えた。その電池さえ寿命がある。今一度みんなで「太陽とともに起きて、太陽が沈むと寝る」というシンプル・ライフを考え直すことだけでも、「原発いらない」生活ができるはずだ。