Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月16日 ゼイクス・ムダにランチを招待される。

1991年、南アフリカヨハネスブルクで開催されたNew Nation 作家会議で、ゼイクス・ムダに出会った。この会議は亡命作家が大勢南アフリカに帰国して、一堂に会して「文学の果たす役割」について語る場だった。幸運にも私もその会議に招待され、ゼイクスたちと数日を過ごし、ヴィッツ大学で会議をし、ソウェトやギャラリーなどを訪れた。ノーベル文学賞を受賞したナディン・ゴーディマも参加していた。彼女はアパルトヘイト時代に南アフリカ作家同盟を支援し、南アフリカの状況を描いてきた。この会議中にノーベル文学賞授賞式にスウェーデンに向かって行ったので、よく覚えている。
1994年しばらく、南アフリカで暮らすことになったとき、ゼイクスと彼の家族と再会した。ゼイクスの2歳になる息子の誕生日に、多くの友人家族といっしょにケンジントン・パークでお祝いをした。当時ゼイクスの所には車がなかったので、私が運転手の役割をかってでた。そのときの息子がいま18歳の立派な大人となってオハイオで再会した。感無量だった。ゼイクスは以前に亡命中にバーモント大学で教鞭をとっていたが、一時期南アフリカに戻ったが、再びアメリカに戻りオハイオ大学で教えるようになった。ある時ゼイクスはメールをよこしてきて、グリ―ンカード取得のために、日本での彼の文学に対する評価を書いてほしいと依頼してきた。
 3年前のアフリカ文学会で基調講演者としてゼイクスが招待されてきた時に、再会した。私は何度かゼイクスの作品を分析して学会で報告したことがあり、彼は作品のテーマに歴史的事実を取りあげてきた。カラードの問題、ノングワセのこと、葬儀屋の物語、ブラック・ダイアモンドのこと、等々。新作を発表するたびに、新しいテーマに挑戦していた。
 
 ゼイクスは、12時に大学に迎えに来てくれ自宅に招いてくれた。新しい妻さんのググは南アフリカ人で、南アフリカの料理をいろいろと作ってくれていた。パップは懐かしい味だった。他にLesibana Jacobus Rafapa,(University of Venda)とオハイオ大学の教員2人が招待されていた。楽しいおしゃべりで盛り上がった。
私のリクウェストも快く聞いてくれ、食後にiPad 2を求めてあちこち車を走らせてくれた。どこも品切れで、最後に行ったオハイオ大学のMacの店に最後の一台があり、それを購入することができた。