Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

4月15日 アフリカ文学会で

第二セッションで、African Literature in the Western Academyのパネルで、友人のテルマ・ピント(南アフリカ出身、アメリカの大学で教鞭をとる)と、フマ・イブラヒム(パキスタン人、現在カタールのドーハの大学で教鞭)と私が研究発表。私は日本のアフリカ文学研究の状況を報告する。日本では依然としてアフリカ文学は、英米文学の延長、もしくは周縁として位置づけられており、アフリカ文学研究の確立は困難。アフリカ学会の中でも少数派。文学は、社会と人々を映しだす鏡であるので、文学を通して社会を理解することはできる。特に、南アフリカの作家たちはアパルトヘイト時代には、命をかけて作品を通して社会の実態を知らせてきた。その証のひとつに、南アフリカから二人の作家がノーベル賞を受賞している。ナディン・ゴーディマとJ.M.クッツェで、二人とも白人で、日本でも作品の多くは翻訳されて紹介されている。もう一人のノーベル賞受賞作家は、ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア)は、アフリカ人作家で翻訳書はほとんどない。この事実からも、アフリカ人作家の描く文学作品への関心度がわかるだろう。
 ランチセッションとして、WOCALA(アフリカ文学会女性部会)の集まりがあった。WOCALAは今年で10周年。この間の活動をデボラが制作したビデオで紹介。今年はフマ・イブラヒムが会長に選出された。WOCALAは毎年、基調講演者を招いてきたが、今年は大会運営委員会との間で行き違いがあり、講演者はいない。大会運営委員会が独自でまねいたのは、モロッコの女性作家Laila Lalamiだった。
 実は、ニューヨークからオハイオ州のコロンバス空港に着いた時、出迎のバスがなく、2時間も待たなければならないとわかった時に、運良く大会運営委員会からこのライラ・ララミを出迎えにきていたオモフォラボ・アジャイ・ショインカと出会った。彼女たちに同乗させてもらい、無事オハイオ大学まで運んでもらった。1時間半もかかったので、どれほど空港から遠くにあるのかを知った。

午後のセッションではケープタウン大学のンボンギセニ・ブテレジのズールの口承文学とアイデンティティの報告を聞く。研究熱心な若手の研究者。かの有名なブテレジのファミリーかと誰からもからかわれていた。

アフリカ・ワールド・プレスのレセプションにでる。社長のカサフンは長年アフリカ人作家たちの出版活動を支援してきた。とても温和な人だが、意志強固。