Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

白内障の手術

20日午後に白内障の手術をした。友人や妹も最近に白内障の手術をして、見える世界が全く違うと言っていたが、その通りだった。こればかりは自分で経験しなければ、全くわからない。手術そのものは、20分ほどであっという間に終わった。眼帯をして、部屋でしばらく静かに休んでいてくださいと言われた。水分もとってはダメだということで、仕方なく、ベッドの上で休むことにした。水には様々な細菌がいるので、手術したところにバイ菌が入るといけないという理由で、納得した。気がつくと、夕食が運ばれてきた。眼帯の上からメガネをかけて、夕食をとる。なんとなく落ち着かないが、しばらくは仕方がない。昼食抜きの手術だったので、すごくお腹が空いていたので完食。夕食は、夜の6時。鰆の煮付け。おからとトマトとアスパラガス。すごく質素なものだったが、栄養は十分に足りているのだろう。翌朝の朝食は朝の8時。白米と温泉卵、ウリの煮物。バナナと牛乳。極めて健康食。ありがたくいただく。

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21日。朝食後、診察を受けた。眼帯を取ると見える世界がクリアにしかも白は白く、赤は赤く、青は青く、しっかりと鋭角の世界が見えた。50年来のメガネなしで、しっかりと明るい世界が目の前に開けた。それに比べて、左の眼からはぼんやりとした世界が見えている。こんなにも差があるのかと思った。白内障の手術をした人たちが、声を揃えて、すごくよく見えるようになると言った。手元のゴミまでもがよく見えると言った。私は一番に見えたのは、自分の手のシワや皮膚が眼に入ってきた。すごく老化していると思った。外の景色がこんなにもくっきりとして、空の色が青いのにも驚く。若い頃にハードのコンタクトレンズを入れていたが、まるでコンタクトレンズが埋め込まれたような感じで、遠くも近くもよく見えている。

 来週、もう片方の目の手術をする。待ち遠しい。白内障の手術ができて本当によかった。メガネをかけずに、このブログも書けるのも嬉しい。文字が濃く浮き上がって見えている。もう文字がぼやけていないので、本も新聞も楽しく読めそうだ。

文字

暑い最中の韓国旅行

 日本ではお盆のお休みを楽しみにしている人が多い。国内や国外への「民族大移動」が始まる。私は、退職しているので、とりわけこのような大忙しの時期に旅行をする必要がないのだが、娘と二人の孫娘との予定に合わせて、この「忙しい時期に」韓国へでかけた。14日早朝の4時半に起床し、娘家族と京都駅で待ち合わせ、5時45分の朝一番列車の「はるか」で関空に向かった。すでに関空にはあちこちに出発する人たちで混雑していた。私にとって、韓国はすでに10回ほど訪れたことがあるので、観光旅行というよりは、気分転換と韓国料理を食べにいくようなものだった。

 韓国では、8月14日が初めて「慰安婦の日」として国の記念日となった。1991年8月14日に、金学順さんが日本軍の慰安婦にされたことを初めて告白した。その日を記念にして「慰安婦の日」が法的に制定された。だが、日本政府はどうであろうか。安倍内閣はまったく歴史的事実を無視して、正式に国家として謝罪もしていない。

 私たちは観光地のど真ん中に滞在していたので、地元の動きや気配を感じることはなかった。NHKのニュースでは次のように報道した。

    「新たに制定した「慰安婦をたたえる日」の式典が開かれ、演説した

      ムン・ジェイン(文在寅)大統領は、元慰安婦の名誉と尊厳の回復

       に取り組む考えを強調したうえで、「日韓両国の歴史問題にとどま

      らず、人類の普遍的な人権問題だ。外交で解決される問題だとも思

      わない」と述べ、日韓合意で問題は解決済みだとする日本政府の立

      場とは一線を画す姿勢を改めて鮮明にしました。」

記念式典は、ソウルから84キロほど離れた南天安で開催されたようなので、ソウルでは通常の賑わいしか感じなかった。

 翌日は8月15日、日本では終戦記念日となるが、韓国では日本の植民地支配からの「解放記念日」となる。まったくの日常生活にはなんの動きも感じられなかった。だが、今年は終戦から73年がたつ。日本のニュースは相変わらず、自民党議員らが黒づくめで靖国神社に参拝する模様が流される。安倍首相は玉串料を私費で出して、本人の参拝はなかったと伝える。靖国神社参拝はなくとも、玉串料奉納でその姿勢の表明しているが、中国や韓国側の反発を恐れての配慮(?)だという。だが、本質的には、靖国神社で眠る英霊を尊び、憲法を改変して、戦争への道を突き進みたいという気持ちはありありとしている。

 戦争をしない、人権を侵害しない、平和な社会を創造していく努力を重ねて、人間らしい生活を保証する社会を作る努力が必要だ。日本の天皇ですらひたすらにそうした平和な社会を望んでいる。だが、安倍政権はその真逆を行こうとする。そんな安倍政治を許していいのだろうか。本当に国民の多くが安倍政権の継続を望んでいるのだろうか。嘘を平気でついてもいい社会、平気で嘘を本当のように語る大人たちを許していいのだろうか。暗澹たる思いだ。

 翌16日、3時10分の飛行機に乗るために、早めに仁川空港に着いたが、ベトナムから飛んでくる飛行機が台風のために遅れているので、2時間の遅れが出ていた。空港でぶらぶらして時間を潰す。京都の自宅に帰宅したのは、10時20分にもなっていた。飛行時間は1時間20分ほどで、日本と韓国の距離は近いが、それでも多くの時間がかかった。今年は、五山の送り火を見ることはできなかった。予定では、山焼きの始まる夜8時までに帰宅できるはずだった。今年も送り火の直前に大雨が降り、実施が危ぶまれたそうだが、無事に5山の送り火は実施できたとのこと。よかった。

 韓国では、おいしい韓国料理をいっぱい食べた。コチジャンがいっぱい入った料理は、汗をかきながら美味しくいただいた。口のなかはヒリヒリするほど、ホットだったが、食べ終えたころには、その辛さにも慣れて、満足感がいっぱい。

 17日の京都は風が吹き、涼しくなっていた。家中の窓やドア〜を開けっ放しにして、冷房のない生活。大根と人参を細く切って、韓国風の箸休めを作る。日本式なら、大根なますなのだが、ゴマ、七味、ゴマ油、醤油、ミリンなどを混ぜ合わせて韓国風につくってみた。

ベランダのプランターでいっぱいできたシソとミントの葉をつみとった。

シソの葉は丁寧に洗って、塩漬けにして、いつでもたくさん使えるようにした。さらには、ミントの葉をいっぱい小さなお鍋で炊き出して、ミントティをつくった。疲労回復にはいい。モロッコでミントティを飲んだときには、本当に美味しかったし、ポットのなかのミントの量の多さに驚いた。すごく癒された飲み物だった。

 

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お墓まいり

 11日、「山の日」の祝日。2016年8月から実施されているようだが、私は全く今日が国民の祝日だとは思わなかった。すでに子供たちは夏休みに入っているので、今日の「山の日」の祝日が特別の日ではない。私にとってもお盆直前の祝日なので、ただ連休が増えたとしか思えない。

 お盆を前にお墓まいりに行く。お墓は尼崎の町の中にあるので、電車で行くにも、車で行くにも便利なところだ。私の実家の墓は高知市にあり、なかなか行けないが。

尼崎の墓には、先月も近くに行く用があったので、墓まいりをしたので、お墓の周りの雑草はほとんど生えていなかった。暑い中の雑草引きは大変な作業ではあるが。

 今日は娘の車で墓まいりができた。名神は事故と渋滞だったので、第二京阪道路から近畿道、吹田から豊中に抜けていった。全くの渋滞はなく、約1時間で着いた。帰路は、事故と渋滞で何時間かかるかわからないので、高速は乗らずに、地道を走ることになった。予想以上の時間がかかった。

 誰もが、この連休を利用して車で移動しているが、必ず事故がある。この暑さで誰もがイライラしながら運転するので、事故を起こしやすい。誰もが事故など起こしたくないが、遠距離の運転と疲労が重なり事故につながる。日本中が一斉の「長期」休暇に帰省の習慣がなくならない限り、渋滞と事故がなくならない。

 2年後のオリンピックを考えると、交通機関の渋滞を解消できるのだろうか。この暑さ対策は大丈夫だろうか。救急患者の対応は?、食べ物の流通は?台風の影響は?と色々と危惧することが多い。

 

 

日本ボクシング協会の会長

 日本ボクシング連盟会長は、自分が忖度されたり、頂点に祭り上げられていることに気づかない。それは日頃から、暴力的な発言で下のものを、気に入らないものを排除もしくは、潰してきたからだ。権力によって支配をしてきたことに気づいていない。さらに、自らの言葉で、暴力団と交流があったことを断言する。「暴力団のどこがいけないの。何も犯罪を犯していない」と居直る。この論理の展開はどう考えても、スポーツ界と暴力団との関わりを考えれば、しかも高校生のスポーツ団体であることを考えれば、社会的に許されるものではない。

 会長は暴力団のどこが悪い。犯罪も犯していないのにと詭弁を展開する。さらに自ら暴力団との関わりを公言するのは世界で自分一人だと粋がる。今後この問題はどうなるのかが問われるが、いずれにしろ、権力をは欲しいままにしてして、その上にあぐらをかき、下のものに忖度させる、まさに男性的権力構造だ。

 だが、安倍首相も同質だと言えないだろうか。森友、加計問題にしても、自らが手を貸していないのだから、金品の授受がないのだからと逃げ回っているが、しかし、首相という地位を利用して、周りに忖度させているではないか。

 

そして8月8日、山根明会長は、ついに辞任した。その理由は妻の言葉だったとわずか3分の辞任会見で明らかにした。ご自分が犯した問題への反省はまったくない。こんなことでいいのだろうか。

 

 

 

この暑さを乗りきるためにプールで泳ぐ

 あまりの暑さにプール通いを再開した。最近では水彩画教室に通うときについでにプールで泳ぎ始めた。この暑さでは水の中に使っているしかないと思い、プールにこの3日間通った。土曜と日曜日は家族、特に子供が参加できるので、親子連れが目立つ。子供たちも大喜びで元気良く泳いでいる。

 連続して会員のアメリカ人の女性が声をかけてくれた。私が着ている服が見る目にも着物からリフォームしたものだとわかるので、サマードレスを褒めてくれた。母が若い頃に来ていた久留米絣の木綿の着物をリフォームしたもの。母が若い頃は、久留米絣は流行していて、普段着に来ていたと思う。今では手織の絣はなかなか作り手がいないので、高価なものになっている。機械織り、もしくはプリント柄の絣が出回っている。

 私のリフォームはしっかりとしたもので、裏表が同じ柄になっている。昔の人たちは、色褪せると裏返して、縫い直して着ていた。木綿のものはあらゆるものにリフォームしていた。布を再利用してきた。今ではそんなことはしない。

 昨日は、若い人に声をかけられ、私の泳ぎ方が素晴らしいと褒められた。もう30年ほど前に、踏水会で指導をうけた成果が今にも出ているようだ。我流で泳いでいては、数10分後には疲れが出て、沈んでしまう。水難にあったら、ぜっていに命を失う。それで息継ぎを正しく学び、少なくとも水難にあっても、静かに呼吸ができ、浮かんでいられることを学んだ。踏水会は京都では古い教室で、立ち泳ぎのような古式泳法を教えてくれた。

 プールの水温はかなり上がっていて、生ぬるくれ、泳いていると汗をかく。結構体力を使う運動になった。

 

 

女性を締め出す社会 東京医大の入試判定で

 東京医科大学が入学試験から女子学生を締め出していたという。その理由として、女性が医者になった場合、子育てや家庭生活があり、緊急の呼び出しに応じられないので、勤務医にできないと説明された。男性医者なら、家庭生活を犠牲にしてもいいということなのだろうか。これは働き方の改革の問題であり、女性医師は不要だという問題とは関係ない。さまざまな理由付けをして、女性を大学で学ぶレベルから締め出すものでしかない。裏口入学とはまったく違う質の問題である。

 女性医師のどこが悪いのだろうか。最近、長年通っていた大手の眼科医で不愉快なことがあった。白内障の診断を受け、手術をする段階で、私自身が糖尿病があるので、手術ができないと言われ、診察すら受けることができなかった。問答無用という態度だった。「私には科学的データが必要なんです」と言い切り、内科医の診断書を持ってこなかったことで、私をなじった。白内障でかかるのは、はじめてのことなので、なんのことかも理解できなかった。あまりにも高圧的態度と、「科学的データ」、数字上のデータを基準とした対応に怒りがこみ上げてきた。予約制であるにもかかわらず、2時間は平気で患者を待たせる態度にも怒りがこみ上げてきた。医者の傲慢な態度に腹がたった。

 最近二人の友人が白内障の手術を受けた個人病院を紹介してもらって、そちらで診察を受けることにした。糖尿病患者の手術は、網膜はく離を起こしやすいし、手術による出血が止まらない場合があるので、糖尿病のヘモグロビン値を安定させなければならない。この点は私も十分に理解している。

 個人病院では3ヶ月、私の白内障の経過を診察してくださり、糖尿病からきた白内障ではないし、眼球自体には問題がないので、この8月末に手術をすることになった。先生は長年、京都大学病院の眼科医長を務めてこられたが、歴代つづく眼科医を親から引き継ぐために個人病院に移籍された方だ。とても丁寧に説明してくださり、よく目の奥まで診察してくださる。こうした人間的な関係が医者と患者の間には必要なのではないだろうか。この先生の紹介で、手術自体は博愛会病院で受けることになった。女性の医師である。

 以前の、糖尿病のかかりつけの医師は男性だったが、その先生が病院を変わられて、家からかなり遠く離れたところまで通わなければならなくなった。男性の医師は私に精神的に圧力をかけてくるのと、遠距離への通院が苦痛になってきた。そこでネットで調べて自宅に近い個人病院を探し得た。女性の先生で、とても親身になって健康指導をしてくださった。それだけでも精神的安心感を得られた。糖尿病などは生活習慣病なので、どれだけ私自身が病気と闘い、どんな生活を送るかを自己チェックしていくかにかかっている。とても改善されたり、気が緩むと悪化したりする。自分自身ではその自覚がまったくないが、血液検査でしっかりと数値が示される。

 ここで言いたいことは、男性医師は、数値を判断基準とし、それだけを頼りにして、医師としての責任を果たそうとするものであり、患者の気持ちなどはまったく無視してきた。

 期せずして、「患者と医者との相性がある」といわれたことがあるが、「相性」なんかで病気を治せるのなら、とんでもないと思う。「男性医師」は立派という「神話」がなくならない限り、病気など治らない。

 私はすばらしい「女性医師」との出会いによって、私の「病気」が改善されていくような気がしている。「気の病」が半分解決されているからだ。

 しかし、女性医師がすべて無条件にいいわけではない。母が大腿骨骨折の手術のあと転移した病院の担当は、若い女性医師だった。この人はとても乱暴な人だった。患者の現状を無視して、自分の勤務時間だけを守り、まったく患者とも家族とも会おうともしなかった。たった一度だけの月一回の会議だけで、自分の意見を述べるだけだった。とても信頼できる状況にはなかった。私たち兄妹は毎日夕方から翌朝まで狭い母の病室で寝泊まりをして、約2ヶ月近く看護した。夜のトイレなどの付き添いなども大変だった。夜勤の看護婦さんは手薄なので、特に私たちの母には手が取られるので家族が介護してほしいと最初からいわれた。医師はそうした状況にはなんの手立てもしなかった。リハビリを嫌がる母へのケアーはまったくなく、ただただ、眠らせるために睡眠薬などを増やして、昼間は眠らせるようにしたり、夜は眠れないようにしていた。とても不快な処置しかしてもらえなかった。私たち家族には何の説明もなかったし、こちらが申し入れても無視された。医者としてもリハビリ病院の勤務は本位の仕事ではなかったようだ。

 医者になる人は、女性でも、男性でも、人間的な関係のなかで、病気を治療していく専門家である。性別は関係なく専門技術に特化した人であってほしい。

 医者になるための勉強をする入り口で、女性であるからというだけの理由で門前払いされるのは、どうしても納得できない。

 

 

  

あじさいの切り戻し

あじさいの花が終わり、新芽から葉っぱがでてきている。緑色の葉っぱは元気をもらうので、しばらくそのままで楽しむことに。ただ、花を咲かせて喜ばせてくれたことに対してお礼の肥やしを土のなかにいれる。来年も花がさきますようにと祈りをこめて。同時に花を咲かせた枝を少し刈り込んだ。刈り込んだところはそのまま捨てるのはもったいないので、プランターに土をいれ、そこに挿し木にして日陰のところに置いておく。どれだけが根付くかわからないが、こうして次々あじさいがベランダで増えていった。

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バジルは種から植えて、育っています。ピーマンは赤くなりました。トマトは毎日、水やりの時に私の口のなかに収穫しています。とても甘くて美味しい。

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