Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

 水彩画の教室に

6月30日、ひさしぶりに水彩画の教室に出かけた。ここ数年は母の介護でなかなか参加できなかった。というよりは、絵を描く気分にはならなかった。ようやく絵を描いてみたいと思い、6月から参加している。月2回の教室なので、あまり負担にはならないが、土曜日の午後の時間なのでなかなかの決断がいる。

 今回は動物園にいる像を描いた。写真をみながら描くのでそれほど難しくはないが、像を立体的に塗るのは難しいので、最後にとっておく。まだ出来上がっていないが、一部を塗ったものはこれ。像と遊ぶ子供たちも最後に塗る予定。いかに立体的に描けるかが問題。周りの景色から攻めてみた。

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習字のおけいこ

6月19日、習字のおけいこに出かけた。「外受傳訓」の後に続く「入奉母儀」を書いた。女の子は、外に出ず、家にいて母から家事一切を学ぶというもの。母という文字はなかなか難しい。5月には「夫唱付随」を書いた。中国にははっきりとした性役割分業が古くからあったのだ。

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習字は上手に描けたかどうかよりは、筆を持って文字を書くという時間が好き。

 日常的には、文字を書かなくなった。コンピュータのキーボードを両手で叩くだけで、日本語という感覚が失せ、極めて機械的に文字を打つだけなので、漢字の読み書きが危うくなっている。こうしてたまに筆を持ち、ゆっくりと漢字を書くことに集中できるのはいい。

紫陽花とゆり

紫陽花がベランダで綺麗に咲いている。梅雨時期になると、紫陽花が元気良く咲き始め、鬱陶しさを吹っ飛ばしてくれる。期待を裏切ることなく、毎年、毎年、様々な顔をして咲き誇っている。その健気なさが嬉しい。

 

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最後の写真の紫陽花は大原の朝市で買ってきたもの。朝日を受けて輝く。

昨年購入したゆりが、長い冬をくぐり抜けて、新しく咲いた。

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6月18日の高槻大地震

 朝の食事を終え、後片付けをしている時にグラグラと来た。大きな轟音とともに、しばらく大きく左右に揺れる。流しの縁をしっかりつかんで立ちすくんだ。どうしようもなく、何も考えられない。

 1995年の淡路・阪神大震災の時には南アフリカヨハネスブルグで暮らしていた。前夜の1月16日は娘の誕生日なので、電話で娘と話をして8時間後に大地震が起こった。ケープタウンヨハネスブルグに住む友人が、電話をかけてきて、日本は大丈夫かと心配してくれた。当時テレビがなかったので、様子がわからないので、友人宅に駆けつけ、テレビで神戸の様子を知った。すごくショックを受けた。それからは毎日毎日、ヨハネスブルグにある日本の新聞社に出かけて記事を読みあさった。

 だから、私にとっては今回の高槻を中心にした大地震は、初めての大きなものだった。今回も、以前にも震災にあった人たちはひどく怖かっただろうと思う。想像を絶するものだっただろう。今回の震災について何度かブログを書いたが、最後まで書ききれずに、どこかに消えてしまったので、改めて書き直した。

 当日は火事で焼失した場面や、壁などの倒壊、そのために命を失った人たちのことが報道された。一日中電車、交通機関がストップして動かず、通勤・通学に巻き込まれた人たちの状況は想像以上。当日私も予定があったが、出かけることができなかった。同時に来客の予定ももちろんキャンセルとなった。あちこちからメールや電話があり、安否を気遣ってくれた。私も高槻や吹田に住む友人に電話をした。

 住んでいるマンションではガスが自動的に止まった。手動で復旧は簡単にできたが、一瞬、ガスと水が止まったら、生活動線が切断され生活が成り立たない。なすすべもなく、どうしようもなくなる。実際には数日間、今も、震災の中心部ではガスも、水道も止まっているところがあるそうだ。病気を患っている人もおられるだろう。今も時々余震が続く。安心して暮らせるよう早くの復旧を願う。

 ワールドカップやら、震災やらのどさくさに紛れて、加計幸太郎理事長がほんの一握りの地元のメディアにだけ開放して「安倍首相と会見はなかった」と記者会見をした。短いもので何の根拠もなく、言い放った言葉は嘘くさい。なぜこんな時に、やるのか。それだけでも犯罪行為だ。嘘に嘘の上塗りをしていく安倍政権の見苦しい対応に怒りを通り越して、笑ってしまった。

 またもや麻生財務大臣のバカな発言にも唖然。若者は新聞を読まない。そういう層はみんな自民党支持者。だから、何なんでしょう。自民党は若者に支持されているから安泰と言いたいのなら、私は将来を憂う。実際に新聞も読まない、社会や政治に関心のない人たちに選ばれて、好き勝手し放題な政治は国を滅ぼす。

 私の孫も今年18歳になる。全く世の中の動きにも関心なく、ファッションや化粧などにだけ関心がある。こんな若者に選挙に行ってもらいたくない。ただただ情けない。

習字に行く

 月二回の習字の日。来客があるとのことで、しばらく待っていたが、なかなか現れない。私の来客ではないので、習字のお稽古に行くことにした。今日書いた文字は、「外受傳訓」。この後には、「入奉母儀」が続く。意味は男子は10歳ぐらいになると、外の先生について学び、女子は外に出ず、家の内で母から学ぶ。中国の教えだが、男女の性別役割の違いを早くからこのように教えた。

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習字の帰りには光洋で買い物をする。火曜日はシニア(65歳以上)割引10%があるので、大勢のシニアが買い物に来る。野菜も値下がりし、値引き商品もあるので、賑やか。誰もが生活を防衛して、この物価高、年金引き下げ、医療費・社会保障費の高騰に対抗するために、ささやかながら、毎日の生活を切り詰めながら、知恵を働かせる。

 あれもこれも買いたいが、手に持てる量には限りがある。今日はお米を買わなかったが、これから年をどんどん取るにつれ、重たいものや、トイレットペーバーのようにかさばるものが持てなくなった時、どうするのだろうかと思案する。

 帰宅してみると、来客はまだ夫と仕事の打ち合わせをしていた。長年知る仲なので、夕食の用意をして、打ち合わせが終わるのを待った。若鶏をジュノベーぜソースに漬け込んでいたものをオーブンで焼く。ついでに今日購入したししゃもをその横に置いておく。ポテトサラダ。手巻き寿司。焼肉用のお肉を焼く。豪華でもないが、一緒に食事をする人とおしゃべりをするだけで、食卓が豊かになる。

 

 

 

 

「万引き家族」をみる

 土曜日に筋トレジムに行ったとき、水筒を忘れて帰ったので、それを取りに行くついでに筋トレをした。わずか30分ほどの筋トレだが、継続的にやっているのと、アメリカに行っている間、全く筋トレをしなかったので、筋力が落ちるのを実感していた。わずかでも、脂肪が筋肉に変わることによって、体を支える力が出てきたことを実感していた。

 午後から、話題作の映画「万引き家族」を観に、MOVIX京都に行く。噂通り、家族とは何か、親子とは何かを考えさせられた。是枝監督の映画は、これまでから「そして父になる」「海街Diary」などを観たことがあるが、ほぼ同じテーマを扱ってきたように思う。

 祖母の樹木希林演じる初枝を中心に家族が暮らす。息子夫婦とその息子、嫁の妹の5人暮らし。そこに小さな女の子が加わる。この女の子は母親から虐待を受けていて、その家には帰りたくない。初枝の温かい愛情のお陰で、この女の子はこの家に暮らすようになる。血縁でない人たちが寄り添いあって徐々に「家族」になっていく。おばあちゃんの初枝の年金と家を当てにして、暮らしているが、生活費として不足分を「万引き」で埋めあわせる。祖母が亡くなる。死因などの取り調べを受けると、面倒なことが起こると考え、家の床下に死体を隠す。ある時、「万引き」が失敗し、取り調べを受けることになり、それぞれの関係性が徐々に揺らいでいく。そのプロセスで様々な問題が明らかになっていく。とてもほのぼのとしたヒューマンドラマである。

 貧しくて、「犯罪」に手を染めているが、この映画には何のジメジメしたものはなく、明るく、楽しく暮す人びとの生きる姿がある。樹木希林さんのお婆さん役はみごとだった。

 この映画がカンヌ国際映画祭で、最高のパルムドール賞を受賞したことに納得できたが、なぜ安倍首相は羽生結弦がオリンピックで金メダルを取った時、自ら電話をして祝福した。さらに、もうとっくにイギリス人になったイシグロ・カズオがノーベル文学賞を受賞した時にもお祝いのメッセージを送っている。日本人監督の日本映画が最高の賞を受賞しているのに、安倍首相は無視し、政府も完全に無視している。文科省の文部大臣は、文科省に是枝監督を招いて祝福を述べるとしたが、監督は「公権力とは潔く距離を保つ」と述べている。確かに、最近の政治はフィギャースケートなどのスポーツ競技や、芸術活動を利用して、権力支配を強化しようとしている。そうした政府とも一定の距離を取るという是枝監督のスタンスに大きな拍手を送りたい。

 

6月8日 平安神宮の菖蒲園

朝、フランス語の予習をしていると、友人から電話があり、今日は平安神宮神苑の菖蒲園を一般開放しているというので、一緒に見に行かないかと誘いがあった。普段は600円の入園料が必要だが、年に2度無料の開放がある。1万坪もある広大な庭園の池に蓮と菖蒲が咲き乱れる。以前に一度行ったことがあるが、まだ時期が早くで菖蒲をあまり見ることはできなかった。この時にコウボネという水草を知った。

 フランス語の授業は1時半からなので、11時に平安神宮の入り口で待ち合わせることにした。菖蒲は花の全盛期を超えていたが、水面に影を落としながら、美しく咲いていた。

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かつての京都会館ロームシアターに名称が変更になり、会館も美しく建て替えられていた。人々が憩う場所としては新しく生まれ変わっていた。小雨が降っていたが、気にならないほどだった。コンビニでサンドウィッチを買い、椅子に腰掛けて簡単なランチをしながら、日本の政治状況、大学行政への政治介入、嫌な世の中になりつつある時代への危機感を感じながら、日々どう生きるかをおしゃべりした。古き良き時代を懐かしむだけではいかない。これからもしばらくは楽しく暮らさねばならないので、降り注いでくる火の粉や不正義にははっきりと「ノー」と言おうと思った。

 午後からのフランス語の授業はいつもになく、楽しく学べた。