Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

母の一周忌に高野山へ

 母が亡くなってちょうど一年になる。妹と夫の三人で高野山にお参りに行く。実家は真言宗なので、その総本山に当たる高野山で法要をしてもらうことにした。昨年11月の父の17回忌の法要に妹と高野山で法要をした。母は信仰深く毎日仏壇に手をあわせる人だった。母が亡くなって以降、兄家族との間で色々ともめ事があり、交流が断たれた。その結果、母の供養はそれぞれのやり方で行ってきた。「きょうだいは他人の始まり」とよく言われるが、実際に自分の身に起こって初めてそう思うことがある。両親はそのように育てたことは一度もなかったと思うが、それぞれの生活の有りようの中で生じたことだと思う。

 いずれにしろ、今日はとてもお天気も良く、爽やかな日だった。家を早朝に出て、お昼に高野山に辿りついた。昨年の台風の影響でケーブルカーが休止しているので、南海電車で難波から橋本駅まで行き、そこから高野山山頂の奥の院までバスで移動した。山深い場所にあり、杉の大木に囲まれた霊験あらたかな別世界だった。弘法大師空海は今でも生霊として御廟でお勤めをされていると言われる場所をガラス越しに眺めながら、広大な奥の院で、納骨や供養に訪れた人たちとともに母へのお祈りを捧げた。

 帰路、金剛峰寺や大塔や金堂を回ってみた。ここは世界遺産に指定されているので、外国人観光客が大勢訪れていた。
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ターナー展に行く

 知人に誘われてターナー展を京都文化博物館に行った。ターナーの繊細なタッチに見入ってしまった。ターナーのイメージは、私の頭の中で、嵐の海などの海景が強かったが、想像以上に風景画には惹きつけられた。水彩、油彩など縦横に描くターナーの世界にひきつけられた。とても優しいタッチと繊細な色彩に見入ってしまった。

 実は20年ほど前にターナーの版画を購入して一枚持っている。しばらく見かけなかったので、今日探してみると、階段の上のほうに掛け変えていた。いつも目にしていた場所にはなかった。あらためて、見てみると、今日のターナー展でみた作品と同じく、丁寧なタッチと風景にすい寄せられた。

 私が持っている作品の説明書がついていた。作品のタイトルは、Traitor's Gate, Tower of London, 原画はターナーだが、版画にした人は、E.Goodall (1795-1870)。技法はスチール・エングレービング。制作は、1833年、Wilton Gatalog, No. 1187。シリーズは、サミュエル・ロジャース『ポエム』、

説明署には、こう書いてあった。

 「ターナーは、生涯にわたって銅版画の仕事に情熱を燃やした。彼はそのために忙しく旅行し、デッサンを描き版画家に手渡し、出来上がった作品に手を加え、妥協のないやり直しを命じた。あまりの厳しさに有能な版画家と喧嘩訣れすることも珍しくなかった。その結果、美しい比類のない技術を尽くした多くの作品が生まれた。ヨーロッパ版画史の中でも特筆すべきものとして美術史の専門家の高い評価を受けている。」

 ターナーの版画を持っていたことをあらためて嬉しく思った。125X135. 

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ゴッホ展を観る

 

 3月2日、フランス語の授業の後、ゴッホ展を近代美術館に観に行く。2日後にゴッホ展が終わるというので、やはり会場は大勢の人が詰めかけていた。長蛇の列に並んで観るのはあまり好きではない。列から離れて、少し絵から離れたところから眺めた。

 今回のゴッホ展は、ゴッホ(フランス語ではゴックというそうだ)は、浮世絵などを通してみた日本を描いた。残念ながら、ゴッホは日本に来ることはなかったという。 

 オランダで生まれたゴッホはフランスで過ごすことになるが、ゴッホの情熱的な作品はどのような背景から生まれたのかを知りたいと思った。今回の京都でのゴッホ展は日本との関係を中心にしたものだったので、私が期待していたものとは少しかけ離れていた。

 私はやはりゴッホの風景画や人物画が好きだ。油絵「アイリスの咲くアルル風景」は穏やかなフランスの田舎の風景がみごとに描かれていた。チケットの絵がそれだった。

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唯一写真を撮ることを許されていた、ゴッホの質素な部屋が再現されていた。この部屋の外にゴッホの自画像が飾られていた。とても質素な暮らしのなかから、フランスを描き出していた。

 

梅を観に月ケ瀬に行く

 3月1日、友人から1ヶ月前から月ヶ瀬に梅を観に行こうと誘われていた。少しは期待していたが、三度目の正直で、ここでも梅はまだまだ蕾が固く、ほとんど咲いていなかった。奈良公園の中にあるフレンチレストラン、La Terraceで、ヨーロッパに来たような雰囲気で、ゆっくりとランチを楽しんだ後、山中を超えて、月ケ瀬ダム向かった。道中も梅の花を見ることはなかった。案の定月ヶ瀬の梅祭りのある地域には全く梅は咲いていなかった。3月の下旬あたりにならないと、花は咲かないそうだ。桜の花は一日で開花することがあるが、梅はそうはいかないようだ。月ヶ瀬の温泉に入り、「道の駅」で地元の野菜と梅の枝を買って帰った。この野菜が高騰している時期に、農家の人たちが丹念に育てた安い野菜をたくさん購入して帰った。普段、何でこんなに野菜が高いのかと思う。

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眼科を訪れる

 ここ一週間があっという間にすぎた。何度も同じことを書いているような気がするが、本当にコンピュータの前に座る時間すらなかった。特に何をどうしたということではないが、時間が限りなくあっという間にすぎてしまう。

 2月21日、朝眼科に行った。最近、コンピュータの文字が読みづらくなった。昼間でも黄昏時のように人の顔がぼんやりとしか見えない。目の前が曇り日のように、薄い膜がかかった景色になる。白内障の疑い。

 実際に眼科に行き診察を受けた。結果として白内障の診断が下り、手術を受けることになった。まわりの友人たちが次々と白内障の手術をし、よく物が見えるようになったという声を聞いていた。母も白内障の手術をうけたが、あまり変化を感じないと言っていた。その人によるのだろうが、実際には医学の進歩により、白内障はそれほど難しいものではないようだ。医療保険がきく範囲内ならば、それほど高くはないのだろうが、保険外の医療を受けるならば、片目40万円だという。私は普通でいい。だが、私にはもう一つ糖尿病を抱えているので、ここ一ヶ月のヘモグロビン値の安定を求められた。それ次第で、手術の延期がある。とにかく、運動と食事とに気をつけなければならない。

 病院には朝早くにでかけたが、実際にいくつもの検査と先生の診断を受け、診察代を支払うまで、4時間もかかった。その間、待合室で、女子フィギャースケートの宮原知子の演技をテレビでみたり、毛糸のセータを編んだりしていたが、それにしても、こんなに大勢の人たちが、眼のお医者さんを必要としているのを知って、他人ごとではなくなった。

 夕方にはかかりつけのお医者さんに行った。眼科の診断を先生に伝え、今後の方針を決めた。要するに生活習慣病のようなものなので、食事に気をつけ、適当な運動を継続するしか方法はない。

 

 

 

2月18日、京都市民マラソン

朝、8時半から京都の町を多くの市民が走り始めた。西京極総合運動公園をスタートして、平安神宮でフィニッシュする。コースにはいくつもの世界遺産に指定された神社仏閣が含まれていて、まるで京都の名所めぐりをしながらのコースになっている。いつものマラソンコースとは違う。

 我が家の前を走るので、路上で応援していたが、今年はこの混雑を避けようと思った。バス路線は完全に夕方までされてしまので、早めに家をでて、鴨川ぞいを散歩して、府立植物園を抜けて北大路まで出ようと考えた。お天気もよく、久ぶりの川沿いの散歩は気持ちがよかった。かわせみもいた。カメラを向けた途端に飛び立ったが、確実にかわせみも穏やかな日だまりを楽しんでいるようだった。

 植物園は、今日は特別の日で入場者は全員無料になっていた。世界中の70歳以上の人は誰もが無料だが、年齢に関係なく無料だと入り口に張り紙がはってあった。中に入ってみると、あちこちにマラソンのコースが作られていた。ランナーは植物園の草木を見ながら、気分転換して、活力を蓄えるのだろうか。

 午後は娘と約束をして、京都近代美術館で開催されているヴァン・ゴッホ展を観に行くことになっていた。京都市内の交通渋滞があちこちで起こっているので、とりあえず大丸の駐車場に車を入れて、大丸で待ち合わせた。そこからタクシーで三条まで行き(そこからは通行止め)、美術館まで歩くことにした。

 平安神宮の周りは観光客、マラソンランナー、美術館へ行く人、などなでで溢れていた。コンビニでも大勢が押し寄せていた。ゴッホ展の前には入場券を求める人が長蛇の列をなしていたので、いつ入場できるかわからないし、おそらく中も満員だろう。京都人は休日に美術館に行かなくてもいいので、今日はゴッホの作品を観ないで引き返した。三条、新京極、市場、大丸へと歩いて戻った。途中、新しくできたお店や、めずらしいお店を覗きながら歩いた。ちなみに今日1日歩いた歩数は、23、040歩だった。歩きすぎて翌日は足がパンパンにはっていた。

 久しぶりに京都の町をぶらぶら歩きをした。穏やかなお天気で、空気がやさしかった。

オリンピックの陰でなにが

 羽生結弦宇野昌磨は金と銀のメダルをとった。ともにすばらしい演技だった。羽生は試合後のインタビューで足が完全に治っていないことを明かした。試合前は頑なに足の状況を語らなかった。語ることで弱みを見せたくなかったのだろう。同情もされたくなかったのだろう。言い訳にしたくなかったのだろう。痛み止めを服用しながらの演技だったそうだ。いつも自己に打ち勝とうとする姿がいたいけない。そこにある彼の人生観はあまりにもストイックだ。宇野昌磨も見事だった。威張らず、おごらず、真摯に練習の成果と繰りかえす。勝負の世界の厳しさを謙虚に受け止めている姿が健気だった。

 それにしても羽生と宇野の演技を何度もどのテレビも放映する。政府は重要なことを次々決定している。高齢社会対策大綱」を閣議決定したという。年金は70歳からとなるという。元気な「高齢者」はいつまでも働き続け、医療や介護が必要ない人が増えているというデータから割り出したものらしい。老齢になり、安心して暮らせる社会設計ではないように思う。

 18日のラジオ日本の番組に登場した石破茂氏は、安倍首相を真っ向から批判したと朝日新聞デジタル版が伝えている。憲法9条の問題、消費税増税増税分を教育無償化にあてる問題にしても、安倍首相は自民党内の議論を無視して、勝手な独善的で思いつき案を述べていると批判した。安倍首相は誰の意見も聞かないで、私利私欲で発言し行動しているとしか思えない。森友、加計問題にしても誰も安倍首相をたしなめることはしないで、むしろひた隠しに問題の沈静化を図ろうとする。政府は全員が確信犯的共謀罪を犯しているとしか思えない。