Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

寒い日が続く

 空気がピリッとしていて、顔に当たる風は冷たい。どこかでは雪が降っているのだろうと感じさせる冷たい空気。それが何日も続いている。テレビの報道番組ではどれも東京の雪の日の大変さが映し出される。北国では日常の光景だが、車も普通に走っているし、雪道は凍らない対策がなされている。京都もそうだが、都会では雪が降らないことが前提で、何の対策もないので、このように大雪になると、大混乱と大騒ぎだ。大雪のために会社から早期帰宅を促された人たちが、駅に集まり、人も電車も立ち往生。こんなにも人がいるのかと思うほど、駅に人が集まり、どうにも動かない。

 一方でインフルエンザが流行し、マスクをしている人たちの姿も気になる。日本は冬には弱い国なんだと変に納得してしまった。じっと家に閉じこもっているしかない。テレビの番組は面白そうなのはないので、iPhone 8 用の袋を作る。韓国の刺繍店で購入したお気に入りの袋に下数センチを足して iPhone用にした。

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韓国の人たちは細かな刺繍を丁寧に仕上げている。素晴らしい作品に手を加えるのは申し訳ない気持ちになるが、引き出しにしまっておくよりは日常的に使いたいと思った。

1月24日は私の誕生日。Facebookに誕生日メッセージが多く届いた。とても嬉しかった。有難いことだと思った。夫からのプレゼントはレストランでごの馳走だった。

ワークスペースを作る

 ようやくミシンと糸を移動させて、ワークスペースを作り、いつでも気が向いたときにミシンがけができるようにした。早速作ったのは、椅子の座布団カバーと袋。母が若い時に着ていたウールの着物の布で作った。綺麗に洗い張りをして長年しまっていた布で。いつか娘の着物に縫いなおすつもりだったのかもしれない。母たちの世代は着物で生活をしていた。暗闇の中でも鏡を見ないでも上手に着物を着て、こともなく帯を締めていた。洋服を着るのと同じ感覚だったのだろう。着物で生活していた時代には、体型の変化に伴い、着物を解いて縫い直していた。そして、着物はまっすぐな布で手縫いで、直線縫いをするので、誰でもが縫えたのだと思う。着物の縫い目を解いて、伸子張りをして、干す光景は日常だった。

 袋作りが趣味の私にとって、母が残していた布はいろいろと想像を掻き立ててくれる。日常品を作ってみようと思う。

 先日、北野神社で書初めをした習字の発表があった。初めて私の書が金賞を貰った。娘と下の孫も金賞だった。上の孫は銀賞だった。家族で出品した書はみんな賞をもらった。なんでも賞は嬉しい。

 

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神戸の震災から23年

 1月17日、阪神・淡路大震災からちょうど23年目。震災が起こった当時、私は南アフリカヨハネスブグルにいた。日本との時差が7時間あり、朝の7時のニュースを見た南アフリカ友人が電話をかけてきて、私の家族の安否を気遣ってくれた。当時私が住んでいたところにはテレビがなかったので、ヨハネスブルグに住む友人の家に行き、テレビを観て、震災の大きさに驚いた。一番に目に入ったのが、西宮付近の阪神好走道路が寸断され、道路に落ちていた。長田ではあちこちから火の手があがっていた。国際電話は通じたので、京都の自宅に電話をし、無事を確認した。数時間前には1月16日が誕生日の娘と話をしていた。スキーに出かけていて、予定を早めて16日の夜に帰ってきたという。翌日17日の朝に帰ってきていれば、地震に巻き込まれたかもしれない。西宮の友人、神戸に住む友人などに電話をし、無事だったので、ほっとする。あの地震で6000人以上が命を奪われた。

 その後、神戸の街に行くたびに、どんどん復興して、いまでは地震のあとかたもなく、新しいおしゃれな建物が立ち並ぶ。山からすぐに海という町で、ケープタウンにも似ていて、つい町中を歩きたくなる。表面的には町は変化して、過去の面影が消されていくが、心の中の風景はいつまでも変わらない。

 福島と東北も熊本も他の場所でも同じだ。早く復興することを祈る。福島の経験は世界中の原発を抱えている国にとっては、大きな教訓になっている。だが、まだ復興の道筋がたっていない。なのぢ、日本政府は原発を世界中で売り歩く。

 最近では日立製作所がイギリスの原発建設を請け負い、日本政府のその資金を全面支援するというものだ。なぜ、安倍首相は国内の問題を放置して、海外の事業に莫大なお金をばらまくのだろうか。すべて私たちの税金から使われている。

 月二回の習字の練習に午後からいく。千字文から「學優登仕」を書く。意味は、「礼の実習において、優美であれば官庁に登って、仕事につける」。學という字はなかなか面白い。頭に興味のあることを学ぶということなのだろうと想像する。

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キーボードで文字を書くことを多く、日本語を手で書くことを忘れそうな生活のなかで、決してうまくはないが、ひととき筆を持って、漢字を書くことができるのがうれしい。

 お習字の帰りに、筋トレジムに行く。30分ほどだが、汗がでてきた。真剣に取り組めている証拠かな?

 2、3日前から残り毛糸で編み始めた帽子がようやくできる。帽子はよく無くすので、いくつあってもいい。服によって、気分によって帽子をかえる。地下鉄やバスに乗っているときに素敵な帽子を見かけると、同じように編んでみようと挑戦する。

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なぜ安倍首相はICANをこばむ

 1月15日は旧成人の日。現在のように成人の日が変わることはなく、1月15日が成人の日としてかなり長い間固定していた。普段の日に成人の日が入ると、休日であれ、故郷を離れた人にはなかなか地元に帰るのは難しくなり、第二月曜日が成人の日となった。

 ここ10年ほど前から、高校時代の数人の友人たちと「旧成人の日」に出会って「小正月」に、無病息災を確認しながら、美味しいものを食べながら、楽しいひと時を持っている。今年は、「薬膳料理」を楽しんだ。

 朝日新聞の夕刊第一面に、ICAN事務局長ベアトリス・フィンさんが広島の平和記念公園や平和祈念資料館を訪れたニュースが出ていた。見出しにあるように、核の終わり見届けるために尽くすという。「日常生活が一瞬にして奪われtことが理解でき、大変心を動かされた。二度と核兵器が使われないようにするために取り組んでいく決意を新たにした」と語ったと伝えていた。ICANは世界の核兵器禁止を求める運動を繰り広げてきたことで、今回の平和賞を受賞した。

 安倍首相との会談を希望したが、政府から断られたと言う。安倍首相は、ノーベル文学賞を受賞したイシグロ•カズオ氏に対しては賛辞を送り、日本のピースボートなどが関わっているICANノーベル平和賞の受賞を無視した。核兵器禁止条約に反対し続ける日本政府は、世界からも非難の的だ。だから、ICANには会いたくないのだろうし、ノーベル平和賞の受賞を無視し続けるのだろう。毎年、8月の広島の記念集会に安倍首相は参列するがどんな気持ちなのだろう。全く心の痛みを覚えないのだろう、本来ならば唯一被爆国である日本が世界の先頭に立って、核兵器廃絶を求めていかなればならないと思う。なんとも情けない。

 

同級生との出会い

 高校時代の友人が帰神するので、世話役の幹事さんが食事会を準備してくれた。友人は36年もロシアで暮らしている。この3月にはロシアのサハリンでの仕事を終えて、日本に帰ってくるという。子供時代を過ごした神戸ではなく、子供さんたちの住む千葉に住むらしい。今回の帰神は、両親のお墓詣りなどを兼ねたものだそうだが、今後は神戸に来る機会もないという。集まったのは16名だったが、私自身は高校と大学を共に過ごしたので、本当に久しぶりの再会だった。大学卒業後は、商社で勤め、最後は日本文化センターのセンター長をされた。学生時代にロシア語を勉強したことを生かして、ロシア社会に深く根ざして、生活をしてこられたので、彼の発する言葉には重みがあった。日本ではロシアに関わるニュースの多くは政治絡みのものが多いが、ロシアの人々の暮らしや文化などはほぼ伝わることがないという。ロシアの人々に、日本の文化を紹介しながら、日本とロシアの橋渡しになることを願って生活してきたと話された。何よりもロシア語が彼の人生で大きな役割を果たした。奥さんもロシア語を学んだ後輩だったこともロシア生活を支えたという。

 同じ高校で学んだ人たちが、それぞれの人生を振り返って、思いを語り合い、こうして長い年月が経ち、それぞれを受け入れている場と時間を共有することができ、嬉しかった。

 

 

キーボードでピアノの練習

 最近、40年も前に子供が使っていたキーボードを、ピアノの教則本を手本に、両手で叩いている。音がでるので、楽しい。コンピュータのキーボードは長年打ち続けているので、手元を見ないでも文字が書ける。ピアノだって一緒だろうと思う。数年前から練習を始め、教則本の80番代まで進んでいたが、しばらくストップするとリズミカルに弾けない。それで最初に戻り、練習をして、バイエルの50番くらいまでは回復した。あせらず、ゆっくりと音を楽しもうと思う。右手と左手の動きが別々なので、頭の中が混乱しないように注意しなければならない。

 フランス語のテキストはいま三冊目だが、この冬休みに一冊目から復習した。あんなに手こずっていた音がようやく法則的に捉えることができるようになているのを知って、ちょっとした喜びを感じている。

 ピアノだって、フランス語だって、「何のために?」と聞かれることがよくあるが、練習していて楽しい。新しいことに挑戦するのが楽しい。筋トレジムも同じ。自分で楽しめるものがあるだけでうれしい。

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成人式とは

1月8日成人の日。全国のあちこちで成人の日には「事件」が起こる。羽目を外したくなるのか、テレビで取り上げられ、注目されたいという気持ちがあるのか。

 レンタル着物着付けや「はれのひ」が営業を突然中止した。成人式に出られなかった人たち、他の店が対応して、なんとか着物を着て成人式に出ることできた人たちがいた。明暗が分かれた。「はれのひ」の社長が突然、店を閉め、行方不明で、連絡不能状態になった。

 少し前に起こった旅行代理店「テルミークラブ」と同じく、お客からかき集めたお金を資本に自転車操業をして、経営が行き詰まってしまったようだ。だからといって、すでにお金を振り込み、当日を待ち望んでいた、一生に一度の機会を踏みにじっていいのかと怒りがわく。

 2年も前から着物を注文し、お金を振り込んで、成人式当日を楽しみにしていた人もいた。着物の生地を選択して、振袖を仕立てるのに時間がかかるので、2年前から予約しても不思議はなかった。すでに持っている着物一式を預けている人もいた。そうした着物がどうなったのか定かではない。こうしたことは絶対にあってはいけない。

 そのこととは、別に成人式とはいったい何なのかと思う。女性は、ほぼ8割が振袖の着物に白い毛皮のショールという格好だ。大学の卒業式でも同じ光景が見られる。こんな高価な衣装を身につけることができる人もいれば、できない人もいる。成人式の「制服」のような「着物」が、出席者と欠席者をわけるのはよくない。多くの市町村では、成人式の出席率は40〜50%で、地方ほど出席率が高くなるそうだ。

 選挙権は18歳になった人に与えられた。成人は20歳、飲酒できるのは20歳以上。若者を何歳から大人入りと見るのかは、法律的にも、社会制度的にも、今後の課題となっている。

 「晴れ着」が成人式出席の「制服」にならないような、「おしゃれな普段着」で出席できる成人式ができるといいのにと思う。