Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

アフリカ作家会議から55周年記念会議

ロンドン大学のSOAS ( School of Oriental and Africa Studies)で開催されたアフリカ作家会議に出席した。1962年にマケレレ大学で開催された「英語で書くアフリカ人作家会議」からちょうど55年目になる。SOASが開設されてからちょうど100年目の記念すべき一連の行事の一つだった。朝の9時半から夜の6時半までの長時間にわたる会議だった。

 基調講演は1986年にノーベル文学賞を受賞したウォーレ・ショインカが、マケレレ大学で開催された会議に触れ、エメ・セゼールやさんゴールを引き合いに出して、ネグリチュードの議論を中心として展開したことを紹介した。そして彼独自の意見として、「チグリチュード(虎のタイガーが、タイガー性を主張しない)は存在しない」ことを改めて、紹介した。

 あれから55年経った現在、「アフリカ文学の定義」は明らかにされなかった。大変難しい問題である。55年前の会議に出席していた多くは亡くなり、生きている作家は、ショインカとグギぐらいのもので、今回この会議に出席していた人の多くは、次の世代の人たちで、55年前の作家会議を知っているのは、ガーナの作家アツクウェ・オカイぐらいだった。

 時差もまだ体に残っていて、会議の後半部では、ナイジェリアの女性作家ブチ・エメチェタ、評論家・学者のアビオラ・イレレ、作家のアレン・リカードらの追悼のセッションがあった。エメチェタは主にロンドンで過ごした。私は1985年にエメチェタのロンドンの自宅に訪ねて行った。エメチェタは今年の1月25日に亡くなった。私と同じ世代なので、早く亡くなったことが惜しまれる。

 今年の6月にイェール大学で開催されたアフリカ文学会にも、長男のシルベスターが参加して、母親のことを語った。今回も長男が来て、母とアフリカ文学のことを語った。30年以上前にエメチェタの自宅で撮った写真をシルベスターにあげた。とても喜ばれていた。

写真はウォーレ・ショインカの講演。

f:id:mwenge:20171028102724j:plain

 

ロンドンに出かける

26日、朝5時40分、タクシーにお願いし、北大路ターミナルまで。一週間ぼどの旅なので、荷物は少ない。5時56分の始発の次の地下鉄で、京都駅まで。6時20分発の伊丹行きの空港バスに乗り、7時10分着。8時30発の羽田行きにチェックイン。座席指定はWeb指定していたので、簡単な手続きで済む。3日前のチェックインなので、ロンドンで、Web座席指定をしなければいけない。簡単といえば、簡単だが、これまですべて旅行会社にお願いしていたが、システムがどんどん変わる。

 久しぶりのロンドン。3年ぶり。今回は、55年前にマケレレ大学で開催された「アフリカ人作家会議から55年」会議というものだ。当時に参加していた作家たちの多くは、残念ながら亡くなっている。アフリカ文学の定義を巡って、今度の会議でも議論されるのだろうか。楽しみだ。

 日本を午前11時20分に羽田を出て、ロシア大陸の上を飛び、12時間15分でロンドン到着。午後3時55分。昼間のフライトなので、眠たくはないので、映画を数本観る。山田洋次監督の『家族はつらいよ2」。いつもながら、笑あり、悲しみあり、哀愁あり、喜びあり、社会の矛盾あり、家族のさまざまなつながりを通して、見えてくる関係性がなんともすばらしい。三世代が同居する家で、第一世代の橋爪功演じる第一世代の頑固親父が後期高齢者になり、日頃は後期高齢者の車の事故が多いことから、お爺ちゃんに車の免許証を返納するように家族は進める。

ある日、その妻(吉行和子)が念願のオーロラを見るために、友人と出かける。その留守の出来事。自動車で出かけた時、高校時代の友人が、道路で交通整理を行っていた。その友人と改めてお酒を飲む機会を設け、その夜同居している長男の嫁の許しを得て、自宅に泊めることになった。翌朝起きてみるとその友人は死んでいた。その人は兄弟の縁が切られていた。一人娘は海外暮らし。天涯孤独。橋爪功演じる頑固親父は、友人の葬儀で見送ることにする。誰も参列しないと思っていたが、家族全員が参加してくれていた。銀杏が好きだったその友人のために、親父は袋いっぱいの銀杏を持ってきて、棺桶に入れ別れを告げた。荼毘に付されていくとき、銀杏が弾ける音が鳴り響く。なんとっもユーモアがあり、ペーソスをより誘った。人間愛に満ちた作品だった。

 「君の膵臓を食べたい」も面白いと思った。映画のタイトルにはギックとしたが、若い人たちの淡い友情の物語。こうした映画を観に、映画館に足を運ばないので、いつも飛行機の中で映画の新作が見られる特権がある。ロングフライトの時には、映画を見て時間を過ごすことが多い。

 ロンドンに着いた時は、典型的な霧雨が降り、少しひやりとした。秋の一番いい季節に突入したようだ。空港からいつもの場所ラッセル・スクウェアまで地下鉄に乗る。旅行者が多く、大きな荷物を抱えた人たちで満員。セントラル・ロンドンに近づくにつれ、会社帰りの人たちのラッシュアワーで超満員となる。世界一古いロンドンの地下鉄の改善が求められるが、どうなるのだろうかと思う。地上を走る二階建てバスはひときわ美しくリノベーションした感があった。

 古いロンドンと新しいロンドンが混在していく。ロンドン大学のすぐ近くにあるロイヤル・ナショナルホテルには、何度も泊まっているが、修学旅行生が大量にステイするようなマンモスホテルだが、今年はどうも時期ではないのか、静かだし、リノベーションしたのか、部屋も美しくなっていた。

立命館大学でアフリカ文学の講義

 先週と今週、立命館大学でアフリカ文学の講義をした。先週は、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ、今週は南アフリカの作家ベッシー・ヘッド。グギはここ数年、村上春樹と並んで、ノーベル文学賞の候補のあがっている。今年も逃し、イシグロ・カズオにノーベル文学賞がいった。イシグロ・カズオは昨年、日本のテレビドラマ「わたしを離さないで」をみた。なんとも恐ろしい不思議な物語だと思った。「臓器提供者」としてのみの人生を運命づけられた人びとの哀愁が漂っていた。

 授業では、作家と言語の関係、アフリカ文学とは何かを考える機会となった。イシグロ・カズオは日本人だが、イギリスで英語で書く。彼の作品はイギリス文学の系譜に位置付けられる。彼の場合はイギリス文学の系譜に位置付けられる。グギの主張は、英語で小説を書く作家だったが、母語で演劇活動をした結果、一年間の政治拘禁にあった。獄中で、どうして自らの母語で作品を書くことが政治拘禁につながるのかを考えた。英語で小説を書くのではなく、母語のギクユ語で作品を書こうと決心した。その作家活動が、釈放後も政府から迫害を受け、22年も亡命を余儀なくされた。そうした状況の中から生まれた作品は、現実の社会状況や人間模様を明らかにする。迫力がある。グギと彼の作品に出会ったことで、私自身、アフリカ文学を研究することになった。そんなことを講義した。

 今日は、ベッシー・ヘッドの話をした。彼女の生い立ちから作家になるまでの道のりや、意識の変化などを講義し、彼女が描いた作品世界を紹介した。なぜ私自身がベッシーの作品に惹かれたのかを話すことができた。南アフリカアパルトヘイト体制、人種差別と性差別を体験したベッシーが、何を描き、どんな社会を希求したかを講義した。学生たちにとっては、私の話は、いままでとは全く無縁な世界だった。

 柔軟な物の見方ができる若い人たちの感性に、アフリカ文学やアフリカ人作家がどのように映ったのだろうか。どんな社会にも文学作品が生まれるが、作家たちは命がけで作品を生み出していることが伝わっただろうか。日本では文学研究は社会にとって何の役にも立たないと捉え、大学の講義から文学研究がどんどん削ぎ落とされている。文学作品は、人間理解、人間社会を理解するもっともいい題材だと思う。

 

 

選挙と台風

 台風の風が選挙を直撃した。希望の党が落ち込み、立憲民主党が想像以上に多くの人びとの期待を受け止めた。選挙は誰にも予想しないことが起こる。こんなにひどい自民党政権、いや安倍首相に対する怒りが、届かない結果になるとは思わなかった。これで安倍首相の暴走をオーライとする毎日が始まるのかと思うと、嫌な気分になる。

 台風が我が家を直撃した。深夜の暴風はベランダの植木鉢やテーブルなどをなぎ倒した。

f:id:mwenge:20171023074504j:plain

f:id:mwenge:20171023074543j:plain

f:id:mwenge:20171023074536j:plain

嵐が過ぎ去った後の光景には唖然とする。選挙の結果がもたらした政治地図に対する光景にも似ている。

 

この間にわかったことや思うこと

 政治状況が混乱している。だがSNSによってだんだん事の本質が見えてきた。立憲民主党は急激にツイッターのフォロアーが増えた。それ自体は喜ばしいが、業者がツイッターのフォロアーにお金を払って、まるで立憲民主党が買収しているかのようなストーリで、立憲民主党を潰そうとしているという。なるほどとも思えるし、またフォロアーは何も賛成者、支持者ばかりではなく、自由にデタラメで、心ない中傷をする人もいる。

 ツイターはどんな名前でもよく、仮面をかぶって、好き勝手なことが書ける。何かに対する不満からか、面と向かって言えないことを、ネットの無記名性を利用して、めちゃくちゃなことを書く人がいる。読み手は、時間の無駄と不愉快な思いをしたくないので、悪意ある行為はやめてほしい。しかもそれが金で買って、悪意あるツイターをしているとしたら、犯罪だ。

 選挙活動は、舌戦だ。聞いていると、嘘や相手を攻撃する言葉が飛び交っている。いやだと思う。選挙に勝ってしまえば、何も政策を実現する努力をしない。こんなことが過去何度もあった。誠実な政党に一票を投じたい。それにしても、今回の選挙は何のために行うのだろうか。

 今の政治状況を憂う槌田劭さんと石田紀郎さんの呼びかけで声明文が出た。声明文の発表2日前に呼びかけ人を募り、集まったのが38名。何かの一石になればと思う。

f:id:mwenge:20171011204941j:plain

 

 

衆議院選挙の混乱に思う

 9月30日、10月1日の二日間、名古屋でWANの理事会があった。WANはウィメンズ・アクション・ネットワーク。ポータルサイトを作り、女性に関する情報をネットに上げている。創立して8年が経つ。もう8年も過ぎたのかと思うほど、あっという間だった。その間、3度リニューアルをして、いまの画面はとりわけ、スマフォを使っている人たちには見易い画面になった。若い人たちも加わり、WANの生命力となるコンテンツの充実が重要性をましている。女たちの情報を共有できる場が必要とされている。

 名古屋のグループが、山尾しおりさんを応援する声明文(9月26日)をだし、その記事をWANのサイトに載せている。先般の山尾しおりさんがプライペートな問題を週刊誌で面白可笑しく書き立てられ、政治生命を奪われようとしている。政治活動とはまったく関係ないところから、政治家を貶めるやり方はあまりにも目にあまる。こうした手法はメディア操作をしてきた安倍政権の常套なやりかたではないかと思う。こうした場に貶められる女性議員を誰も救いはしない。そんな政治もごめんだ。

 衆議院選挙が目前にある。小池百合子氏に対して、メディアはさまざまに報道している。メディアに踊らされることなく、自らの力でいまの政治状況を理解したいと思う。小池氏は、安部首相以上に憲法を改悪しようとする、極右翼の政治思想を持つ人だ。とても危険。なんの方針もださない「希望の党」になぜ誰もがついて行こうとするのか。政党には政治綱領があり、どのような方向で活動するかがうたわれている。「希望の党」にはそれがないのに、どうして民進党は「希望の党」に合流しようとしたのか。明らかなのは、安倍政権を倒すためにだけ、身売りをしてもいいのだろうと思う。前原氏にはそんな権利はない。

 「希望の党」=小池党の小池氏は「リベラル派」といわれる民進党の人たちを排除すると公言して、横柄な態度でいる。あまりの傲慢さに吐き気がする。

 民進党の枝野氏が「希望の党」に行かない人たちを束ねて、「立憲民主党」を立ち上げるようだ。大きな拍手を送りたい。これまで民主党民進党を支持してきた人たちの受け皿ができる。頑張ってほしい。

 

民進党党首前原氏に思う

 衆議院が28日の午後の国会本会議で解散となった。先の安部首相の所信表明ですでに国会解散することを知らされていたので、驚かない。森友、加計学園の問題に関して説明責任を果たさず、まるで問題は解決したかのような態度だ。さまざまな問題を曖昧にしたままの解散とは何なんだろうか。消費税をアップした分、幼児教育の無償化、高齢者社会の保証などの補填すると、バラ色の幻想を撒き散らす。

 いつもピンチに立たされると、「子供、女、年寄り」をダシに使う。一度たりとも実現されたことはない。弱者の味方のようなふりをして、現実には弱者を切り捨ててきた。もう誰も騙されてはいけない。

 東京都知事小池百合子が設立した「希望の党」がメディアで取り上げられている。小池さん自身は、政治的立場は極めてウルトラ・ライトで、安部首相と同じく憲法を改悪しようとしているし、原発ゼロの社会を目指してはいない。

 民進党も解党し、希望の党に合流する。京都出身の前原民進党代表は民進党をつぶした。一度は政権をになった民進党の体たらくだ。希望の党民進党の人材と資金を手にした。こんなひどい駆け引きに飲み込まれた前原党首をどうみればいいのだろうか。

 これまで、京都で安部政権に異議申し立てをするさまざまな行動集会には、一度も顔を出したことがない前原氏にはがっかりしてきたが、今度はもっとがっかりだ。