Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

日本のメディア

 メディアが社会の正義を作り、社会を変えていく時代は過ぎ去った。メディアが政治に利用され、政治の不合理を許している。テレビは特に視聴者の目を政治から逸らし、週刊紙的な興味を煽り立てる。

 「松居一代」報道は何だろう。松居さん自身が何を求めているのか、何を社会に訴えているのか、まったく理解できない。船越氏に対する不満不平を公的なメディアを通じてぶつけているようにしか思えない。これは「いじめの構造」と同じではないだろうか。こうした報道を一方的に見せられる視聴者側は共犯にさせられる。私はごめんだ。

 森友学圏の籠池氏に対する報道もしかり。加計問題もしかり。権力を握る政権が、好き勝手に社会のルールを無視して、やってきたことへの限りない疑惑は深まっているにもかかわらず、そこをメディアは問いただすことはない。肝心なところでは、「記憶にない」「記録がない」で済ましてしまう状況を許している。

 安倍首相とジャーナリストの田原総一郎氏が会見したという。内容については、「そのうちにわかるだろう」と明かさない。「政治生命を賭けた冒険を」提案したという。それが何かを推測するメディアも週刊紙的興味を煽る。私は、田原が筋の通ったジャーナリストのとるべき立ち位置にいるのかと疑う。田原は安倍を動かす力を持っていると言いたいのだろうか。それならば、大きな奢りではないか。

 安倍政権が何をしてきたのかをメディアもジャーナリストも裁かない。「共謀罪」法案をつくり、憲法を改悪しようとする悪巧み。世界中に最も危険な原発を売り歩き、トランプ大統領に擦り寄る。最も世界で恥を晒している日本の首相。スーダンの現実を隠蔽し、嘯く安倍政権。日本はどうなっていくのだろうか。

 

 

 

7 月29日 水彩画と水泳

久しぶりに「大人の小学校」の水彩画のクラスに顔をだす。先生からサンフランシスコの写真を渡され、それをスケッチする。しばらく先生のスケッチをみる。どのように輪郭をとり、どのように素材を配置するかの勉強。

先生のスケッチ、その下は写真と私のスケッチ。

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距離と物体との関係などなかなか難しい。観察力が必要。先生のスケッチにはインパクトがあるが、私のはモノマネで、何の面白さもない。訓練と感性が求められるのだろうか。教室には8人ほどが出席していた。半分の方は私が1年ほど休んでいる間に新しく加わった人たちで、ほとんどが高齢者。趣味の時間を楽しんでいるようだ。

 水彩画は1時半から3時半まで。あっという間に時間がすぎた。そのあと、プールで泳ぐ。長いこと水泳も休んでいたので、平泳ぎとクロールでゆっくり泳ぐ。体がほぐされて気持ちがいい。

 

 

異常なコンピュータ世界に生きる

 ネット世界は異常だと思う。メデイア・リテラシーが問われる。嘘の情報と真実の情報を瞬時にして見極めなければならない。数ヶ月前に、Apple IDのパスワードを変更した。あまりApple Storeで買い物はしないが、それでも時々購入するものもある。

 Apple Storeからメールが来て、最近パスワードを変更しているが、再度登録し直す必要があるという。不審に思いながら、少し入力し始めた。途中でこのメールは偽物で、不当に入金を要求するウェブに誘導するものであるという警告が来た。ほぼ何も入力していなかったので、無事だったが、コンピュータ世界でこんな犯罪行為をするのだろうか。

 例えば、この前のアフリカ文学会に出席するためには、ネット上で登録し、クレジット・カードで参加費などを前金で支払わなければ、ならなかった。ホテル代もカード番号を知らせておき、キャンセルした場合は自動的にカード支払いになる。このように相手先がわかっていて、カード番号を知らせることは度々ある。時々カード番号が流出したというニュースが流れて心配することがあるが、安易にネット社会を信頼しがちである。

 以前、二度ばかり私のクレジット・カードがどこかで盗まれた。一度は私は日本にいるときに、大量のエビをケープタウンで購入しようとしているが、どうかという確認の電話がカード会社からあった。この時は難を逃れた。

 別の機会にケープタウンに滞在中、3日間、1日につき30万円ほどの購入があるという日本のクレジット・カード会社から電話があった。私はその3日間はケープタウンにいなかったし、毎日そんな大金を使う必要がなかったことを説明した。しかしすでにカードでの購入が済んでいたので、一応100万円近くのお金を私が支払いをして、2ヶ月後にカード会社から返金があった。海外に滞在中だったので、そのカードが止まり、廃棄処分となった。現金を持ち合わせていない海外生活では、カードがなければ不便。再発行にも時間がかかる。もう一枚別のカードを持っていたので、生活には困らなかった。

 つい最近もアメリカの銀行で一枚のカードから現金を引き出せなかった。いくらカード社会だとはいえ、水のペットボトルを購入するのに、いちいちカードは使えない。現金が必要になる。どうしてなのかわからないが、幾つかの銀行で何度かトライしたが、ダメだった。そのカードで品物を購入するのには全く問題はなかった。それで銀行から現金を引き出すのに、もう一枚のカードを使った。

 カード社会の不便さと、便利さがある。コンピュータがうまく作動しない時に生じる混乱は想像以上だ。日常生活でも、コンピュータの誤作動で電気やガスが止まったら、たちまち大混乱が起こる。都会生活に慣れきった私など、3日以上サバイバルできないかもしれない。

 

 

梅干し

ようやく土用の梅干しが済んだ。今年は鳩公害のためにベランダで梅干しをすることができなかったので、日中陽が一番当たる窓際に3日間置いておいた。時々、梅を上下ひっくり返した。結構な手間がかかるものだったが、ようやく梅を梅酢の中に戻した。これから半年ほどすれば食卓にのぼることになる。

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 今日も参議院予算委員会で、加計学園獣医学部設置に関する予算委員会中継が放映されている。自民党から青山繁晴氏の質疑があった。彼のひどい質問は安部首相を応援演説をするのもで、愛媛県知事加戸氏を参考人として呼び、前川氏を名指しで貶める発言をさせた。誰もが自己保身と、自己正当化を図る。見苦しい。

 蓮舫さん、桜井充さんの質疑があった。安倍氏が、加計学園が申請したことを知ったのは、今年の1月20日だと答えたことに対して、厳しく本質をつく質問だった。安倍氏は問題をはぐらかした。ますます疑惑が募ったように思えた。苦しい答弁。連坊氏は、具体例を挙げ、安倍氏の答弁の矛盾をついた。

 そのあとの質疑でも、加計問題に関わった大臣、補佐官らは「記憶にない」一点張りだった。テレビ番組の解説によれば、「記憶にない」発言は法にはふれないそうだ。どんな問題であってもその人の記憶が法的に問われることはない。偽証罪にもとわれない。無責任な人たちがあやつる政治に対する不信感がますます募る。

 

 

 

 

国会閉会中の審議放映を視聴して

今朝から、国会中継があった。様ざまな参考人が出席していた。残念なことに安倍政権のデタラメな答弁には唖然とした。子供でも理解できるような、嘘や誤魔化しで乗り切ろうとしたという印象は拭えない。

 肝心なところで、「記憶にない」「そんなことは言ってはいない」「記録もない」と突っぱねる。安倍首相の答弁の中で、驚いたのは、安部首相の答弁で、加計学園獣医学部の新設が決まった直後の1月20日に加計学園獣医学部ができることを知ったと言う。こんな嘘をつく必要があるのだろうか。すでにいろんな資料が出ているのにも関わらず、また安倍首相と加計学園理事長とは学生時代からの友人であり、何度も食事やゴルフをする仲でありながら、獣医学部の新設について知らなかったことは嘘だ。だが嘘を嘘で押し通す、安倍首相の傲慢さと、ふてぶてしさに誰もが辟易しただろう。

 どんどん出てくる資料が偽物なのだろうか。ありえない。

 

鳩公害

 朝の散歩を再開した。上賀茂から鴨川ぞいを南下し、植物園のなかを通り抜けて、下鴨までを歩く。暑かったが、木陰に入るとひんやりとした風を感じる。とても爽やかな気分だった。夏バテしないように、日頃から歩いておくことも大事。

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ムラサキツユクサオニユリもとても愛らしい。

暑い毎日がつづいているが、毎日、毎日ベランダに鳩が小枝をせっせと運び、すきをねらって、巣に卵を産む。鳩には気の毒だが、毎日毎日、その卵をすてる。それでも鳩はベランダに通ってくる。住民にとってはすごく迷惑だ。ここのベランダは巣作りにはダメだと早く諦めてほしいが、鳩は学習しないのだろうか。こちら側とすれば、あたりかまわず、糞をまきちらす鳩に我慢できない。

 今朝のニュースで鳩にわざわざ鳩用の餌を袋で購入し、毎日毎日鳩に餌をやり、近所迷惑をかけている。一人暮らしの老人の慰めになっているのかもしれないが。

 そろそろ梅の土用干しをしようと考えているが、今年はベランダでは梅が干せない。昨年は大丈夫だったのに。

 

母の納骨

7月16日、母の納骨のために高知まで行く。父と先祖のお墓が高知の筆山というところの墓地にある。

 朝4時に起き、4時半に予約していたタクシーで京都駅まで。5時4分の始発の電車に乗り、新大阪まで。妹と合流して、みずほで岡山まで行き、そこから南風1号で高知まで。9時43分着。高知駅前の日産レンターカーやで車を借りて、墓地まで。高知の市内はそれほど大きくないので、車移動は簡単。子供の頃からよく高知の親戚の家で過ごしていたので、町の中の地図は頭に入っている。どの道をよく歩いたとか、あの川で泳いだとか。

 母を父が入っている墓に入れた。母はようやく安心して眠る場を得たのだろうか。そんなに早くお墓に入れることに、少しの違和感があるが、兄の決めることなので、仕方がない。

 日曜日だったので、高知城の近くのお城通りで日曜市が立っていた。ここは地元の人にも、観光客にもよく知られるところで、母と一緒に高知に来た時にはよく端から端まで歩いたものだった。高知独特の日用品や野菜や乾物などが売られている。懐かしい郷土の品々を生産者が持ってきて、売られている。売っている叔母さんたちと高知弁で会話を交わすのが楽しい。

 日帰りだったので、午後の早い時間に来た道を帰って行った。結構乗り継ぎが良かったので、思ったよりは早く帰れたが、10時間以上も列車に乗りつづけるには厳しいかったが。