Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

「共謀罪」に反対するデモに参加

 アフリカ文学会がイェール大学で14日から始まる。いつものことだが、まだ原稿はかけていない。いつもなんとかなってきた。あまい考えだが、考えがなかなかまとまらない。

発表内容は、南アフリカの女性作家ゾイ・ウィカムとナイジェリアの女性作家チママンダ・ンゴジ・アディティエの比較研究ということになる。どちらも人種とか、アイデンティティの問題を提示しているので、そのあたりを中心にしてまとめようと思うが、なかなか進まない。

 昨日は1日中家で仕事をしようと思っていたが、娘から電話がかかり、車のトラブルを訴えてきた。私に訴えられてもどうにもならないので、車屋に同行することになった。もともとは私が長年乗っていたフランスの車プジョだが、娘に譲った。コンピュータにかけても、不具合がでてこないとのこと。一安心。だが、あちこちに故障がみられるそうで、修理をしなければならないとのこと。車のことなので、お願いするしかない。

 夕方から京都市役所の前で、6時半から「共謀罪」に反対するデモ行動があった。憲法9条を守る会の人たちが中心。私たち「シニアの女たちの会」でひさしぶりにデモに参加した。市役所のある御池通りから、四条河原町までわずかを歩いた。友人と共謀罪は英語でどういうのかを議論した。Conspiracy bill だろうが、なんだかしっくりしない。国会で内容がよくわかるように議論してほしいが、だれもが戦前の治安維持法を連想させる。国家権力によって言論が弾圧され、人権が保障されない社会の到来に不安をいだく。

 それほど大きなデモではなかったが、だれもがなんらかの意思表示をしたいと集まった。とても気持ちがすっきりするデモだった。

習字のおけいこ

 今日は一日中家に居れると思っていたが、お習字のお稽古の日だということをすっかり忘れていた。少し遅れて「大人のための習字」教室にいく。「川流不息」と書いた。川の流れのように絶え間なく(人や車や動物が)行き来するという意味。うまく文字を書くというよりは、だんだん思ったように筆が動くようになった。先生のお手本をよく見て書くようにするが、なかなか難しい。

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 加計学園の件、委員会の中継放送で安倍首相の説明を聞いても、まったく納得がいかない。それどころか疑惑が深まる一方だ。昨日の安倍首相の言葉が今日にはネットで炎上しているが、一向に現政府に対する支持率はさがらない。安倍政権を支持する人がいるから、ますます安倍独裁国家になりつつある。

 

プランターに植えていたパクチーが成長して花を咲かせていた。パセリもそうだ。こうしたハーブ系は同じような花がつくのを改めて知る。とてもかわいい花だ。

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 パクチー           パセリ

ベランダの片隅に鉢植えしていたカサブランカが咲いた。黄色いバラも咲き始めた。

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国会中継を観ていると

 国会中継を観ていると、あまりにもいい加減な安倍さんの答弁に腹がたつ。彼のまったく根拠のない、めちゃくちゃなはぐらかしにいらいらする。国の長としての責任のなさ、人を馬鹿にした答弁。子供が聞いても、安倍さんの答弁が答弁になっていないことに気づくと思う。

 文科省にある加計学園に関する内部資料が明るみにでた。決して怪文書ではなく、文科省で共有された文書だが、それを政府は必死で打ち消そうとする。そして文科省政務次官の前川さんを個人攻撃、人格攻撃をする。質問に正しく答えようとしない。あまりにも傲慢な態度である。

 しかし、そんなことで国民は騙されないが、どうして安倍政権支持率がさほど下がらないのはなぜなのか。私たちは「騙される国民」であってはならない。

 

 

根本利通さんの追悼の会に

     根本さんの追悼の会に出かけた。彼はタンザニアでジャタ-ツアーを起業し多くの人のお世話をしたので、200人以上が品川に集まった。開成中高時代の友人、反アパルトヘイト市民運動の人たち、京大時代の友人たち、旅行で世話になった人たち。妻さんの友人たち。ここで、私も久しぶりにあった人が何人もいた。

    私の夫とは40年来の知人で、私もよく知る。タンザニアでは自宅に招いてもらって、美味しい食事をご馳走になったことがある。また京都に来られた時には我が家に泊まったこともある。一昨年の正月明けには根本さんと夫はオマーンに一緒に旅をした。
    彼は京大で西洋史を学び、東アフリカの歴史を調べていた。千葉県の高校教師をしたあと、ダルエスサラーム大学大学院で研究を続けた。日本人学校で教師をしながら、気候など厳しい環境のなか、タンザニアに住み続けた。そして旅行会社を起業し、日本とタンザニアの架け橋となった。
 根本さんが学生だった頃、1977年 1月1日おお正月に我が家に遊びに来ていた。他にも立命館大の学生も二人いた。根本さんは当時京大の学生寮に住んでいて、ちょうど梨木神社の近くを通って帰ったそうだ。その直後に梨木神社爆破事件があった。のちに立命館大の学生がうちに遊びに来ていたかどうか、警察の聞き込みがあった。彼らの名誉のために証言したが、要はお正月に郷里に帰らぬ学生は、京都でよからぬことを企んでいるのではないかという疑いである。京大の学生寮に聞き込みがあったとすれば、それは大変な騒ぎになっていただろう。今ならば、明らかに、「共謀罪」でどんな学生も検挙の対象になる。

 

 

金梅花と紫陽花

 金梅花があちこちの道路や川沿いの土手などに咲いている。梅よりも大きな花で、黄色の花びらは、中途半場に暑い日中、ほっとさせてくれる。あちこちで紫陽花も咲き始めた 

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我が家の紫陽花はまだまだ蕾だが、梅雨の時期に近づいたことを知らせてくれる。いつの間にか6月になってしまった。ほんとうに、あっという間に6月が来たという感じだ。 

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 母が亡くなり、幾分か日常に戻りつつはあるものの、さまざまな問題が起こり、落ち着く暇がない。何十年と暮らしてきた生活の場に、主がいなくなり、「もの」だけがいつまでもある。とにかく何とか片付けなければならないが、その気にはならない。心が重い。

 我が家もようやく衣替えを始めたものの、なかなか片付かない。何日も部屋の片隅に夏服はだしたものの片付けられないでいる。物がありすぎる。部屋中に物が溢れる生活を極力避けてきたが、それでも物がありすぎる。断捨離を大きな心で決断し決行しなければならないのだが。

 

普段の暮らし

 毎日、テレビをつけると政府のあまりにも「嘘臭さ」に腹がたつ。「嘘をついてはいけません。正直になりなさい。」と教えられてきたのに、安倍首相や政府は平気で嘘をつく。自民党の中でも、石破さんたちは、物ごとを隠すのではなく、しっかりと調べることが大事だと語っている。なぜ前川さんを証人喚問して事実を明らかにしないのだろうか。何を恐れているのだろうか。

 そしてメディアのニュース報道は、G7でのアメリカ大統領トランプ氏の不快感をとりなす安倍首相の天狗顔には呆れる。

 5月29日(月)はお昼に整体で治療を受けた。腰が痛いのと肩が凝っている。姿勢が悪いのが原因なのはよくわかっているが、2週間に一度の整体は私の最も贅沢な時間。最近、ラジオ体操を始めている。第一体操と第二体操を続けてやる。およそ8分ほどの体操だが、結構体をほぐしてくれる。IPadにラジオ体操を入れているので、どこででもできる。

 夜は孫に英語を教えに行く日なので、午後からカシワの筑前煮を作る。晩御飯のおかずの一品だが、孫たちの弁当のおかずにいいかなあと思う。いつもはハンバーグ、肉団子、ミートローフ、お肉の佃煮などを作るのだが、少し目先を変えてみようと思った。

 つい先日、中間テストがあった。孫と孫の友人の二人とも、テストはよくできていた。3年生になって、受け身形が出てきて、過去分詞の不規則動詞を覚えるのが、大変だったが、なんとか理解できたばかりだ。ユニット2は現在過去形が出てきた。現在過去とは何かを時間軸で説明する。若い人たちは柔軟な頭をしているので、簡単に理解したようだ。

 私のフランス語の過去形の理解は怪しい。半過去、複合過去、大過去、単純過去、前過去と何のことか理解できないでいる。

 

5月30日

 整体の受付をしている人が最近7ヶ月の男の子を保育所に送り迎えに行く際にオムツを入れる服ろの話になった。使ったオムツは紙おむつと布オムツの両方を持って帰り、処分したり、洗濯したりしないといけない。そうしたオムツを入れる袋をあちこちで探しているが、なかなか思うような袋がないという。布を買ったが、それの作り方がわからないという。そこで私の出番。私は袋を作るのが趣味なので、作ってあげる約束をした。

 その布を取りに烏丸御池まで行き、ミシンを置いてある下鴨の自宅に帰る。要はトートバックなのだが、横のマチの所に哺乳瓶を入れたり、ちょっとした手拭きなどを入れておく、ポケットを作る。袋の内側に連絡ノートを入れておく内ポケットを作る。押し目入れはビニールの中袋を作り、取り出しが便利なようにして、袋にボチホック付けておく。気に入ってもらえれば嬉しいが。。。。

 ここ2、3日の暑さには参っている。髪の毛も伸びてうっとおしくなったので、いつもの美容院に行く。毛染めは一年ほど前からやめたので、白髪が目立つが、それも自然の成り行きと受け止める。さっぱりした。

 

 

仁和寺に行く

午前中、娘と下の孫が京都に買い物にきたので、つきあう。中三になったので、6月初めに東京デズニーランドに修学旅行に行く。そのときに履く靴を買うのが目的だった。お昼を一緒に食べ、三条通りから新京極通りをブラブラする。ABCマートでナイキのシューズを買う。ついでに私もナイキのサンダルを購入。6月にイェール大学とニューヨークに行くので、そのときにホテルと居候をする友人宅で履くスリッパー代わりにする。海外に行くときにはほとんどスリッパーは持っていかないが少し不便を感じていたので、今回は持って行くことにした。

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 孫は午後から友人とテニスをすることになっているので、早々と帰って行った。私はこの後、夫と仁和寺に行く約束をしていたので、とりあえず待ち合わせの場所まで戻ることにした。

 市バスで仁和寺まで行く。これまでは車で行っていたが、いま二人とも敬老パスを持っているので、市内はどこでも市バスと地下鉄で動き回れる。今日はバスや地下鉄に9回も乗りついだ。

 仁和寺は御室桜で有名な場所なので、遅咲きの牡丹桜をよく見にいくことはあったが、こんな時期に行くのはめずらしい。広い境内にサツキがまだ咲いているかもしれないと微かな期待をもって出かけたが、桜が散ったあとにでた若葉が、濃い緑の葉にかわっていて、生い茂っていた。サツキもほぼ咲き終わっていた。観光客も少ない仁和寺をゆっくりと散歩した。となりの竜安寺金閣寺には大勢の観光客が押し寄せていたが。

 仁和寺は、吉田兼好の『徒然草』が書かれた場所。「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

 仁和寺のホームページにこうある。「仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。」

 応仁の乱のときに、多くを焼失したが、やがて再建された。明治20年(1887年)には御殿の焼失があり、大正時代に再建。

 仁和寺は長年天皇家ゆかりの門跡だったが、現在では真言宗の御室派の総本山だそうだ。金堂や観音堂は修理中だったので中に入ることはできなかった。五重塔は江戸時代初期に再建されたそうだ。写真は、鐘楼と正面の山門を裏から。

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