Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

3月29日、大谷本廟にお参り

 3月29日、浄土真宗本願寺派大谷本廟に行く。妹の夫が亡くなってちょうど4年になる。ここに永代供養をしているので、お参りに一緒にでかける。ちょうど東京から出張していた姪(父の墓参)と私の娘も合流した。大谷本廟祇園のとなりにある。最近では、祇園近辺には観光客が賑わっているので、大変な人出だが、お彼岸を過ぎているので、お寺の中はひっそりとしていた。

 月日が経つのは早いもので、亡くなった人のことは日頃はもうすっかり忘れているが、こうして亡くなった日を一年に一度でも思い出し、こうしてきょうだいが一緒に行動できるのもいいことだと思う。

 

3月30日

 久しぶりにのんびりと自宅で過ごす。沈丁花のあまい匂いが嬉しい。すこしづつ蓄積された疲労からか、夜の8時過ぎにはうつらうつらと寝ているのか起きているのかわからない眠気に襲われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

David Attwell氏の講演会

 南アフリカの研究者 David Attwellさんが立命館大学で講演されるというのでお誘いがあった。彼はJ.M.クッツェの研究者。クッツェは南アフリカ人でノーベル文学賞を受賞した作家だ。クッツェはケープタウン大学で教鞭をとっていたが、ノーベル賞を受賞後にオーストラリアのアデレードに移住した。彼のパートナーはドロシー・ドライバーで私は彼女との交流が深い。同じく南アフリカの女性作家の研究に関わり、いろんな場面でお会いし、意見交換することも多くあった。また彼女はケープタウン大学でアフリカ文学を教えていて、彼女の授業にも3ヶ月出席したことがある。

 デイビッドとは、1995年にピーターマリツッバーグで開催された会議で初めて出会い、その後、アフリカ文学会でお会いしたことがある。そして共通の友人が多くいるということで、ディビッドのリクエストでお会いすることができた。彼の講演会はクッツェの古い作品の分析と文体に関するものであった。そこに出席していた人は非常に少なかったが、クッツェの作品を読んでいない人には、クッツェへの魅力などはわかりにくかったかもしれない。私自身はクッツェがノーベル賞の対象となった『恥辱』(Disgrace)の作品に対しては、いろいろと問題があると捉え、クッツェへの評価は異なる。さらにその後に発表した作品 Slow Manなどにも疑問が多くある。おそらく、私にはクッツェの作品を文学批評としてのみ捉えられない視点がある。人間模様は社会や政治とは切り離せないものだと考えている。

 講演会の後、居酒屋で夕食を共にした。お惣菜や天ぷら、刺身の典型的な京都のおばんざいだった。ディビッドはとても食事を楽しんでいた。

 母のことがあったとはいえ、南アフリカ文学からしばらく遠ざかっていたので、早く復帰したいと思った。次から次に用事やお誘いやらで今はゆっくりと本を読む時間がないが。

ベランダの掃除

 ようやく日差しが暖かくなり、ベランダにも春がやってきた。先日、ベランダの霜枯れしたものや新芽に邪魔になる枝を払った。少しづつ買ってきたビオラを植え終えた。紫陽花は勢い良く芽を出し始めた。春はすぐそこまで来た。

 野菜コーナには、ネギや三つ葉、パセリ、香菜(パクチー)に加えて、エンドウを植えてみた。お花も可愛いので楽しみだ。いつの間にかサンシュウが黄色い花をつけていた。

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今朝の賀茂川沿いの散歩で見た桜はまだまだ蕾が固い。開花はもう少し先になりそう。

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WAN (Women's Action Network)の会議

 25日、26日と2日間、 WAN (Women's Action Network)の理事会のために東京に出かけていた。WANは女性情報に関するNetのポータルサイト。多くの女性たちのボランティアによって、女性に関する情報をネットで載せている。年に4回の理事会が、京都、名古屋、東京で開催されている。このサイトを立ち上げて、もう7年が経つ。何度かリニューアルし、今のサイトになり、携帯電話でも見られるような仕様になっているので、シニアグループと若い人たちの間でかなりの温度差がある。様々な分野で活躍する人たちが中心になって作っているのが特徴。情報を必要とする人たちにどう届けるか、どうアクセスしていただけるかが最大の課題である。現在、上野千鶴子さんがこのWANの理事長。それぞれが担当する分野での問題点と今後の展望などを20近くあるチームから報告があり、手作りの情報ネットワークへの熱い思いが議論された。

 私も母の介護や看護が終わったので、しばらくはWANの活動に戻ろうと思った。動画で情報を配信するということも今の時代に必要かもしれないが、どれくらいの人が立ち止まってくれるだろうか一抹の不安はあるが、動画サイトにも関わってみようと思った。大学で仕事をしていた時に、学生たちと映画に字幕をつけるという授業を担当した経験を生かしてみようと思う。今TVなどのマス・メディアでながされる情報は芸能ニュース化して、本質に触れないようにすり替えられたりするので、動画発信はWANにとっても大きな意味があるのかもしれない。

南アフリカから友人来る。嬉しいプレゼント

24日(金)。南アフリカから友人がやってきた。昨年初来日だったが、よっぽど気にいったらしく、再度やってきた。どうしても春の時期に来たいと思ったのだろうが、残念ながら桜はまだ咲かない。特に今日は寒かった。ベジタリアンなので、日本では食べ物を探すのは難しい。私の友人とその娘と娘のボーイフレンドの3人。

 先日、アメリカからやってきた友人と一緒にランチをしたベジ・カフェにお連れした。このベジ・カフェを経営しているのは、福島の原発事故の後京都にやって来た姉妹だ。とても美味しくて、優しい味のお店で、京都大の農学部のすぐ近くにある。食事の後、銀閣寺から哲学の道を歩いた。午前中に金閣寺を訪れていたので、銀閣寺とは対照的なのを知り、驚いていた。

 そのあと、清水寺に行きたいとのことで、タクシーで清水寺まで移動した。観光客が多く、参道はなかなか進めなかったほど。中国からの観光客の若い女性たちは日本の着物を着て、草履で歩きにくそうにしていた。貸衣装屋さんはビッグ・ビジネスになっているのだろう。

 友人の娘は私の友人の子供と同じ高校に通い、友人どおしだったので、南アフリカから友人の母の自伝が届いた。

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ファティマ・ミーアさんはネルソン・マンデラさんの伝記を書いた人で、社会学者でもあるが、反アパルトヘイト運動の活動家だった。夫はイシュマイル・ミーアさんは弁護士でマンデラとも活動した人だった。私はファティマさんの著書『ネルソン・マンデラ伝ー希望はこぶしよりも高く』を翻訳したことがきっかけで、シャミンさんとシャナーズさんの二人の娘さんたちと知り合いになり、もう26年もおつきあいをしている。2年前には日本に来て、我が家で滞在した。私がヨハネスブルグに行くときには、いつもシャミンさんの家に泊めていただく。

 ファティマさんも、私がダーバンを訪れるときには、泊まって行きなさいと言ってくださった。家族ぐるみのおつきあいをさせてもらった。2010年3月にファティマさんが亡くなった時、私はヨハネスブルグの飛行場にいた。そこで買った新聞のニュースで知って驚いた。

 シャミンさんが母親が書き続けていた自伝をようやく出版することができた本が、私のところにやってきた。とても嬉しいプレゼントだ。

 

ベランダに春がやってきた

母が亡くなった日の朝、ベランダにビオラを植えて、少しは春を家に取り入れようと思い、たくさんビオラを買ってきた。母が好きだったユリの花も買っておいた。その日の夜に母が亡くなった知らせを受けたので、あとの時間をどう過ごしたかわからないほど、バタバタとしていた。ようやく落ち着いたので、ビオラを植えることができた。これらが咲いている間は母がここにいてくれているように思いたい。

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 花は家の人の愛情で育つので、毎日水やりのときに花と対話しなければ。ここ数ヶ月、寒さと雪がれと私の放置ですっかり元気をうしなっていた。ごめんなさい。

 

3月21日、習字教室に行く

 21日、尼崎にある夫の両親の墓参りに行った。雨が降っていたが、お墓には雨でも風でも関係がないので、出かけた。周りのお墓には綺麗なお花が供えられていた。ここのお墓は町の真ん中にあるので、電車で簡単に行けるのがありがたい。私の父の墓は高知にあるので、なかなか思うようには行けない。母も父の墓に入るのだが、兄家族に見守ってもらえるのだろうか。

 お墓参りはいつも午前中に済ませるので午後二時からのお習字のお稽古に行く。今回書いたのは、「夙興温清」(しゅくこうおんせい)

 「臨深履薄」に続く言葉だが、意味は「深きに臨んでは落ちないよう用心し、薄い氷を恐る恐る踏むように慎重に事にあたれ。つとに起きて(冬は)温かいように、(夏は)涼しいように仕えよ。」とある。

 この千字文は、忠君と孝行の心得を千文字で表現したもの。用心してことに当たれということ。気候を考慮して温暖に気をつかい、居心地のよいよう過ごせということか。

 ゆっくりとした心で文字を書いて、少し嫌なことも忘れられた。

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なかなか先生の指導通りに書けない。