Mwenge Keikoのつれづれ日記

アフリカの人びとや文化の出会いを通して

母のところへ

 今日は朝早くから家を出て、母のところに行く。なんだかこの頃は電車に乗るとウトウトと居眠りをする。地下鉄で烏丸四条まで行き、阪急で三宮まで行く予定だった。烏丸四条の手前の烏丸御池で次だから、降りなければと意識していたのに、ウトウトとしていたために、気がついたら、京都駅まで来ていた。仕方がないので、JRで三宮まで行くことにした。またウトウトしていて、三宮で慌てて降りる。時間的にはJRの方が乗り換えがないので、少しだけ早いが、料金が大きく異なる。JRの方が圧倒的に高い。明石まで行くには、格安チケットを買っていたので、往復で1000円ほど違う。これは塵も積もれば山となる。JRと阪急ではものすごく差がある。

 三宮から神戸市の地下鉄に乗り、西神南まで行く。ケアハウスの送迎バスの時間まで20分もある。歩いても15分で行けるので、バスを待つよりは歩いていく。

最初のところで躓いたので、予定時間が少しずれてしまった。車生活の時には、バスや地下鉄やJR、私鉄などの時間などを気にすることはなかったが、「敬老パス」で京都市内の市バス、地下鉄は、ほんのわずかな年間費用を支払えば、便利に乗り継ぐことができる。とても役に立っている。バスの時間に合わせて行動をするようになった。

 母はちょうどお風呂に入れてもらっていて、部屋にいなかった。しばらくしてとても明るい顔をして、部屋に帰ってきた。お風呂は気持ちが良いし、血行をよくする。1時間ほど休憩してから、食事をとる。ほぼ8割がた食べたが、口を少ししか開けないので、1時間以上もかかった。しっかりと食べなければいけないと思ってくれているのなら、とても嬉しい。

 帰りは阪急で帰ったのだが、またウトウトしていて、十三で阪急河原町行きに乗り換えるのに、慌てた。よっぽど疲れているのかと思った。

 

 

長浜の盆梅展に行く

 今日は日曜日。母もケアーハウスに帰って、落ち着いて過ごしているようなので、久しぶりにのんびりした気分。朝食を食べながら、長浜の盆梅展に行くことになった。盆梅展にはここ毎年出かけている。昨年は少し早すぎて、梅はまだ蕾が固かった。

 JRで京都駅から長浜まで1時間10分ほどかかる。12時30分に盆梅展の会場に着く。すでに多くの人たちが来ていた。高山七蔵さんが約40鉢の盆梅を長浜市に寄贈したことから始まり、今年で66回目。会場は慶雲館。これは明治天皇・皇后が京都行幸の際の休憩地として建設されたものだという。130周年。梅は花が咲き終わると、剪定を行ない、数年ごとに土の入れ替えをし、丁寧に育てている。梅の花は、翌年に同じ枝に咲くことはないそうだ。毎年新しく生まれる枝に、新しい花を咲かせる。

 地植えの梅と違い、繊細でほのかな香りを放ちながら、可憐な花を咲かせる。

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遠くの伊吹山は雪をかぶり、雄大な姿を見せていた。

真宗大谷派の長浜別院「大通寺」を訪れた。蓮如上人の布教の拠点。様々な歴史をくぐり抜け、伏見桃山城の本堂や広間がここに遺構された。当時の栄華を見る思い。

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タイムスリップしたような古い町並みを堪能した。コンパクトに小さな長浜の街に織田信長浅井長政豊臣秀吉などの歴史の一端を知る。

 

 

英語は難しい

 中学生の孫に英語を教える。要は日頃、英語の授業中にどのような態度で過ごしているかが大事だ。教科書の英文をスラスラ読めても、授業中に先生がどのように英文の構造を教えているか、それをしっかり聞いているか。新しい発見があるかが大事だと思う。授業中に興味を持って新しい発見をしてほしいからだ。授業中が退屈なら、興味が持てないなら、いくら塾で学んでも英語は身につかない。どんな時にも、新しい発見があることが大切だと思っている。そして何故そうなるのかを知っていくことが大事だと思っている。

 来週に期末テストがあるので、教科書の範囲から最も基本的なことを理解しているかどうかのテスト問題を作って、やらせてみる。どこが理解でき、理解できないかを知る手がかりになる。間違いを指摘し、何故間違ったかを考えさせる。わからない時は、質問させる。多くはうっかりミスが多いので、少なくともそのようなミスがないようにしていく。

 今比較級を学んでいるが、3シラブル以上の単語には、その単語の前にmore, the most をつけて、比較を示すことを学んでいるが、学校では発音記号を教えないので、シラブルと言ってもわからない。学校の先生は長い単語には、more, the mostをつけると教えているようだ。子供たちにとって、どの単語が長いのか、短いのかわからない。

 私は今フランス語を学んでいるが、フランス人の先生は発音を正確に教えてくださっていて、シラブルについては厳しい。フランス語には発音しない子音が多いので、どこでシラブルが切れるか、丁寧に教えてくれる。辞書にも示されている。

 中学の教科書には新しい単語には発音記号も書かれているので、私はできるだけ、発音記号が読めるように指導している。発音記号に慣れると、どんな単語でも読めるようになる。英語はフランス語と違って、文字だけ見ていてもどう発音するか推測しにくい。ゲルマン系とラテン系の語源を持つ単語が混在しているからだ。

 私は何十年も昔に英語を勉強している時に、おそらく好奇心を抱き、パズルを解くような喜びを持ちながら、学んでいたと思う。新しいことを学ぶ楽しさがあった。

 

 アメリカではトランプ大統領がメディアを締め出し、『フェイクのニュースを流している」として大手のアメリカのメディアを寄せ付けない。大きな危惧を感じる。トランプ大統領の言葉だけを信じてしまうと、世の中の秩序は混乱してしまう。そのためにもトランプ大統領の言葉、その他の言葉を理解できるだけの英語力を身につけることが求められる。その他の外国語も大切だと思うが。

 

フランス語の授業

今日はフランス語の授業。過去の出来事を表現する方法を学ぶ。学生時代にフランス語を学んだが、何一つ頭に残っていない。若かったので、フランスの小説をいきなり読まされたが、辞書を片手にストーリをたどりながら、なんとか読めた。だが、声を出して読むことをまったくしなかったのと、現実的にフランス語を使って、会話をするという訓練をしなかったので、フランス語を音読することが難しい。

 今、ようやくフランス語を学んでいるという感覚を得ている。小学生のような気分で、無心にフランス語と格闘している。頭の体操にはとてもいい訓練だと思う。

 フレミアム・フライデー(プレ金)が今日から始まった。電通の優秀な社員が、働きすぎで、耐えきれず自殺をした事件をきっかけに、企業の長時間勤務を解消するために、金曜日は午後3時に退社できるようにするというものだ。休暇時間を増やして、消費生活を促し、経済を活性化しようという魂胆だが、企業もプレ金を取り入れるところもまだまだ少ない。金曜日の午後から、土曜日、日曜日まで休日になる人たちは、恵まれている。多くは非正規雇用や、非常勤勤務で、労働時間がカットされれば、それだけ収入が減少する。そうした部分をどう政府や企業は保障するのだろうか。さまざまな矛盾を含んでいる。

 テレビのニュースでは町の声をひらっているが、多くの男性は、相もかわらず、飲み屋で過ごしている。さすが午後3時からではないとしても、飲み屋に直行している。家に帰って、家族と過ごす時間を持とうとはしない。

 アベノミクスの失敗を覆い隠すための奇策としか思えない。 

ケアーハウスに居る母を訪ねる

病院からケアーハウスに帰った母を訪ねる。今日は兄、妹の3人のきょうだいで

ケアーハウスに出かけ、ケアーハウスの専門医とフロアー長、ケアマネジャーたちと懇談会だった。要は母のように病院とケアーハウスとを何度か往復しているような人の終末医療について、家族と職員と医師とが確認しておくことを話し合う場が持たれた。一人の人が、どのようにして人間らしい終末を家族とともにどう見守っていくかを考える場だった。私たちは、母が12月初めに入院した時には、病院のケアーマネジャから、「この冬が越せるかなあ、次は桜が見られるかなあ」というレベルで母を見守ってほしいと言われていたので、過度な治療を求めないで、穏やかに過ごせる措置を取っていただけることを願っていた。

 とうとう、母が終末の段階に入ったのだろうが、誰にも今後どうなっていくかわからない。今日は四日ぶりで母の顔を見ていると、ケアーハウスに帰れて三日目になるが、穏やかな顔の様子で、今日の昼食はほぼ9割がた食べた。おでん、オクラのサラダ、リンゴジュース、味噌汁、白米。病院食よりははるかに美味しそうだった。ここに入所している人たちも、職員も、同じものを食べている。母も皆さんと一緒のテーブルで食事をさせてもらっているので、(車椅子に乗せてもらって)他の人たちの声も聞こえるし、他の人たちが母を励ましてくれる。まるで家族のように二年以上もここで暮らしてきたので、母も病院よりはここの方がずっと安心していると思う。

 昨日はプリンターで500枚以上の文章を印刷したので、インクがなくなってしまった。神戸からの帰り、京都駅の近くにあるヨドバシカメラで専用のインクを買った。6000円以上もしたので、少々びっくりした。早速続きの印刷をし終えた。

 中学生の孫の期末考査の予備練習問題を作成し、プリントアウトをする。3学期の範囲は40ページ強、接続詞、動名詞、比較級、会話表現などがテスト範囲。ますます英語嫌いが増えそうだ。とても重要な単元なのに、時間を十分にさかないで駆け足で進んでいるように思う。

 どの放送局も北朝鮮金正男氏の暗殺事件について報道している。北朝鮮側のメディアの扱いも出ているが、明らかにメディアからは真実が見えてこない。「評論家」と言われる人たちも、意見が変わったり、ますます事件の真相が混乱している。

 今話題の森友学園の瑞穂の國記念小学院の設立過程は誰が考えてもおかしすぎる。なぜ一つの偏った思想教育機関を文科省が許すのか理解できない。戦前の国家主義を基軸に据えた教育への反省がなし崩しにされるのを許せない。ヘイトスピーチや差別を許す土壌がこうしたところから生まれているのは、恐ろしい。

Canon LBP7110Cを購入

 Canonのモノクロのレーザプリンターはかれこれ10年以上も使ってきた。まだ使えるのだが、紙詰まりをよくしたり、手出しでなければ印刷できないとか、ときどきプリンターは気まぐれになる。

 必要があって、この機会にCanon のレーザーカラープリンターを購入した。プリンターの価格が下がり、以前は手が出せなかったレーザーカラープリンタが手頃な値段で買えた。

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 これまで勤務していた大学は、美術系と人文系の学部があったので、もの造りを楽しんだ。芸術学部や漫画学部の学生たちには、プリンターは必需品だったので、高質画像を印刷できるコピー機が学内のあちこちにあった。だから仕事をしている時は、あまりプリンターに不自由はしなかった。

 大学に勤めていた頃、ゼミの学生が自分史を書き、自分の手で製本をして、世界でたった一冊の本を作った。文章を書き、校正をし、書式を揃えて、両面プリントする。それから製本室で製本機を使って、糊付けをしたり、端をカッターで切り落としたりと大変な作業をして、自著を作った。学生たちは誰もが作家になった気分で、自分の人生を振り返って、未来をどう歩むかを考えるきっかけになった。具体的な本作りを通して、さまざまなものが見えたと思う。

 これからは自宅で、私が関わっているアフリカ文学研究会の雑誌作りに、少し時間をかけようと思っている。この研究会にかれこれ40年近く関わってきた。仲間たちと、手作りの雑誌作りをして、アフリカの文化と社会について発信してきた。版下は自分たちで作り、あとは印刷屋さんにお願いして、製本をしていただいて、50冊ほど出版してきた。だが最近では、実際に印刷代がかさむので、デジタル化して、インターネット上で、アフリカ文学研究会のホームページにそれぞれの原稿は掲載している。非常に原始的な作り方なので、あまり美しくないホームページだ。しかもあまり更新もしていないし、リンクが外れたものをたくさんあり、作りかけも中途半端に終わっているところもたくさんある。本格的に作り直さなければならない時期がきている。

 アフリカ文学研究会のホームページは以下から

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keiko-ku/Africa/

 

 

 

習字のおけいこ

今日は習字のおけいこ。忠則盡命(ちゅうそくじんめい)。意味は「忠君には命をかけてはげむ」中国の子供たちは文字を学びながら、道徳的な教訓も身につけていったのだろう。この千文字は、書の手本として用いられた漢文の長詩だそうだ。

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あまり上手には書けないが、筆を持って文字を書くことが楽しい。わずか6枚しか練習しないが、先生のお手本をみながらゆっくり書く。

 この何十年も、文章を書くのはコンピュータ上で、キーボードを両手で叩くと、味気ない文字が自動的にでてくる。立派な文章がかけたような錯覚を抱いてしまう。

 お昼ごはんを作るときに、冷蔵庫のなかに入っていた野菜をいっぱい入れた野菜の ratatouille(フランス語=ラタトゥイユ)を作った。トマトが1個しかなかったので、トマとジュースと野菜ジュースを入れる。10分ほど煮てから、魔法瓶の鍋にすっぽり入れて、習字のおけいこに出た。

 夕方家に帰ってきて、柚子の絞り汁と生姜の千切りと、香菜(パクチー)を入れて、トムヤムクン風に味付けをする。複雑な無籍国料理になったが、結構おいしかった。